福神漬顕彰碑 浄光寺(雪見寺) | 墓守たちが夢のあと

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浄光寺山門

 

銅造地蔵菩薩

 

福神漬顕彰碑

 

 西日暮里にある浄光寺は、真言宗豊山派の寺院で、「法輪山法幢院」と称して江戸時代までは隣接する諏訪神社の別当寺でした。
 元文2年(1737)に八代将軍徳川吉宗が鷹狩の際に滞在して以降、御膳所として活用されたそうで、境内には「将軍腰かけの石」が残されています。
 また、山門をくぐって左手にある銅造地蔵菩薩は、元禄4年(1691)に無空上人が江戸東部六ヶ所に開眼した「江戸六地蔵」の中の3番目の地蔵だそうです。
 眺望に優れた浄光寺は、特に雪景色がすばらしく「雪見寺」とも呼ばれています。
 浄光寺の境内墓地に、お墓ではありませんが「福神漬顕彰碑」が建立されています。カレーライスに添えられる「福神漬」は明治初頭に上野の漬物店「山田屋」(現在の酒悦)の店主・第15代野田清右衛門が考案した漬物で、不忍池の弁財天にちなみ、数々の野菜を七福神に見立て、当時の流行作家「梅亭金鵞」が「福神漬」と名付けたと言われています。
 かつては浄光寺の墓地に野田清右衛門の墓があったそうで、碑もその頃に建立されました。その後、子孫の方により墓は別の場所に移されましたが、碑はあまりに大きすぎたため、そのまま残されたそうです。


荒川区西日暮里3-4-3