海軍中将 安保清康 | 墓守たちが夢のあと

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安保清康の墓

 

安保清康

 

 坂本龍馬や西郷隆盛と親交があり、海軍創設時に重鎮として要職を歴任した安保清康(あぼ きよやす)は、天保14年(1843)現在の広島県尾道市で生まれ、12歳で広島に出て漢学、医学を学んだ後、万延元年(1860)に長崎にて英学を修めます。なお、安保姓は晩年名乗った名字で、旧姓は林、通称は謙三と言います。
 安保は長崎滞在中に、イギリス軍艦に乗り込み軍学を学んだことで、薩摩藩の小松帯刀や西郷隆盛に請われて薩摩藩の海軍養成に携わり、自らの進言により薩摩藩が購入した軍艦「春日丸」の艦長として戊辰戦争で活躍していきます。
 なお、坂本龍馬の友人であった安保は、龍馬の求めにより 慶応3年11月16日(1867)に上京し龍馬が滞在していた近江屋を訪れていますが、龍馬はその前日に何者かに暗殺されていて、駆け付けた谷干城らと共に瀕死の重傷を負った中岡慎太郎から暗殺時の状況を聞き取り遺体を埋葬したそうです。
 明治維新後は海軍創設に携わり佐賀の乱・台湾の役・西南戦争にも出征。その後、海軍大学校長、佐世保鎮守府司令長官などの要職を歴任しています。
 最終階級は海軍中将で、明治27年(1894)に予備役に編入されていますが、翌年、日清戦争の開戦により呉鎮守府司令長官に就任。その功により男爵を叙爵し、明治42年(1909)に亡くなっています。


青山霊園 1種イ4-25