坂本龍馬 | 墓守たちが夢のあと

墓守たちが夢のあと

歴史に名を残した人物の墓所データベースです。

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霊山護国神社

 

 

 

 京都府京都市東山区にある京都霊山護国神社は、明治維新を迎えることなく亡くなった幕末の志士たちを祀るために慶応4年(1868)に建立された神社で靖国神社より古い歴史を持ちます。また、神社の隣りには祭神として祀られた多くの志士たちの墓所であるた霊山墓地があります。中でも最も有名なのが坂本龍馬の墓です。
 
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坂本龍馬と中岡慎太郎の墓
 
 薩長同盟の成立や大政奉還の実現に大きく関わり、現在でも多くの人々に尊敬されている龍馬ですが、これらの偉業により幕府からはもちろん、討幕の動きを封じられた薩長からも狙われる存在へとなります。
 慶応3年(1867)11月15日、龍馬は宿にしていた河原町の蛸薬師で醤油商を営む近江屋新助宅母屋の二階にいました。午後6時頃、陸援隊の中岡慎太郎の訪問を受け、2,3時間会談をしていたところ、刺客の襲撃に遭い、まず額を深く斬られ、その他数ヶ所を斬られて亡くなります。享年33。亡くなった日は偶然にも龍馬の誕生日でもありました。
 同じく襲撃されて二日後に亡くなった中岡慎太郎とともに18日に近江屋にて葬儀が行われて、二人の遺体は霊山墓地に葬られます。霊山墓地にある、ほとんどの墓は招魂碑で遺骨はありませんが、数少ない実際に埋葬された墓だそうです。
 
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坂本龍馬の墓
 
 坂本龍馬と中岡慎太郎が亡くなった近江屋は、現在はコンビニになっていて、建物の前には碑が建っています。
 龍馬の暗殺犯については明治3年(1870)に箱館戦争で降伏し捕虜になった元見廻組の今井信郎が、取り調べ最中に、与頭・佐々木只三郎とその部下6人が殺害したと供述し、これが定説になっています。しかし、今井の供述は自分の実績を誇示するための嘘として薩摩藩黒幕説など様々な犯人説が取り沙汰されています。
 
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近江屋跡
 
京都霊山護国神社:京都市東山区清閑寺霊山町1
近江屋跡:京都府京都市中京区塩屋町(河原町通)-330 サークルK四条河原町店