「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」大阪城 | 墓守たちが夢のあと

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大阪城

 

刻印石広場

 

広場の石段の上にある「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」

 

「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」

 

 大阪城天守閣の北側にある「刻印石広場」は、大阪築城400年を記念して、城内にあった刻印石を集めて造られた広場です。
 刻印石とは、大阪城の石垣築城の際、参加した諸大名の家臣や石工らが石集めや石積の過程で目印として文字や文様を刻み込んだものや、完成した石垣に担当した大名の家紋を刻み込んだものなど、これまでに数万個も発見されています。
 その「刻印石広場」の西側に「淀君並殉死者三十二名忠霊塔」があります。これは大阪の陣で豊臣秀頼と共に亡くなった淀君や32名の家臣を祀る慰霊塔だそうです。なお、近くには「秀頼、淀君ら自刃の地碑」も建立されています。


大阪府大阪市中央区大阪城1−1

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