三代目 江戸家猫八 | 墓守たちが夢のあと

墓守たちが夢のあと

歴史に名を残した人物の墓所データベースです。

江戸屋猫八の墓

 

側面に刻まれた名前

 

 物真似師で俳優としても活躍した3代目・江戸家猫八は、大正10年(1921)に初代・江戸家猫八(岡田信吉)の六男として生まれます。なお、本名は六男のため岡田六郎だそうです。
 六郎は昭和15年(1940)に古川緑波一座に入団し俳優となりますが、二年後に召集され南方戦線を転戦しています。そして昭和20年(1945)8月6日、陸軍船舶司令部兵長として勤務していた広島市宇品にて原爆投下による被ばくを受けます。
 当日、六郎は広島に慰問に訪れていた旧知の女優・園井恵子と会う予定でしたが、前日に飲みすぎて朝起きることが出来ず難を逃れたそうで、六郎が会うはずだった園井は宝塚まで避難したものの8月21日に原爆症で亡くなっています。
 爆心地から3km以上離れていた宇品は直接の被害は少なかったものの、六郎はその後、被害状況の偵察や市内の救援・医療活動に動員されたため、残留していた放射線に被曝し、生涯にわたり二次被爆が原因と思われる体調不良に悩まされることとなります。
 戦後の昭和25年(1950)父の弟子であった2代目猫八から、父の物真似芸を継ぐことを薦められた六郎は修行を開始し3代目江戸家猫八を襲名。その後は、 御家芸ともいえるウグイスやコオロギなどの動物の鳴きまね芸で活躍。後に4代目を襲名する息子の初代江戸家小猫と親子で共演することもありました。
 一方で昭和31年(1956)より11年間、NHKで放送された「お笑い三人組」に 三遊亭金馬・一龍斎貞鳳と共に出演し、八ちゃんとして一躍人気者となった他、中村吉衛門主演の「鬼平犯科帳」シリーズの相模の彦十役が当たり役となるなど俳優としても高い評価を得て、昭和54年(1979)に文化庁芸術祭の大衆芸能部門優秀賞を受賞。その後も、昭和63年(1988)紫綬褒章、平成2年(1994)勲四等旭日小綬章を受章しています。
 3代目江戸家猫八は、平成13年(2001)に心不全のため東京都青梅市の病院で逝去。享年80歳。雑司ヶ谷霊園の墓石は正面に「初代江戸家猫八之墓」と刻まれていますが、側面には3代目の本名と戒名も刻まれています。さらに3代目の隣に名が刻まれている妻(再婚)の岡田モトさんの亡くなった日付を見ると3代目の無くなる10ヶ月前に亡くなっていることが分かります。妻に先立たれたことが相当ショックだったのかもしれません。


雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区南池袋) 1種西6-3-18-2