中央大学初代学長 菊池武夫 | 墓守たちが夢のあと

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菊池家墓所

 

菊池武夫の墓
 

 明治期に法学者として活躍した菊池武夫は、嘉永7年(1854)現在の盛岡市加賀野で盛岡藩士の家に生まれ、大学南校(東京大学)卒業後、明治政府の留学生として、アメリカボストン大学法学校へ留学します。同じ留学生には、小村寿太郎や鳩山一郎の父・鳩山和夫もいました。
 帰国後、司法省にて司法大臣秘書官や民法草案編纂委員を歴任。その後、弁護士として活躍する一方、東京帝国大学講師や司法省民事局長、東京弁護士会会長を務めています。
 菊池は、中央大学の前身である英吉利法律学校が明治18年(1885)に創立された際の創立メンバーであり、中央大学と改称された際に、初代学長も務めるなど法律家の育成に尽力しています。
 また、明治24年(1891)に貴族院議員に勅選され、明治45年(1912)に亡くなるまで在任しています。


染井霊園 一種イ4号6