男爵 酒井忠弘 | 墓守たちが夢のあと

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酒井忠績の墓

 

墓石の側面に刻まれた忠弘の名

 

管理事務所の立札

 

 旧姫路藩主で最後の大老であった酒井忠績の長男・酒井忠弘は、明治元年(1868)に生まれ、明治28年(1895)に父の死去に伴い男爵を襲爵します。
 忠弘は、明治30年(1897)より貴族院男爵議員に選出され政治家として活躍していますが、詳細は不明ですが明治34年(1901)に華族の礼遇が停止され貴族院議員も辞職しています。
 さらに、大正9年(1920)には男爵を失爵し、表舞台から姿を消した忠弘は、昭和11年(1936)に亡くなっています。
 東京都立染井霊園では、5年以上管理料が滞納されると使用許可の取消しに向けて調査するという条例があるそうで、10年ほど前から親族と連絡が取れていない酒井家の墓所は、撤去され更地となる可能性が高まっているそうです。

 基本、管理料は親族が支払わなければなりませんが、青山霊園にある李氏朝鮮の政治家・金玉均の墓は、撤去が検討される中、韓国政府が管理料を支払い存続されたという事例もあり、何とか歴史ある墓石や顕彰碑が保存される道がないかと思いますが現実は厳しいのかもしれません。




染井霊園 一種イ4号6