宮内大臣 土方久元 | 墓守たちが夢のあと

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土方久元の墓

 

土方久元

 

 土佐藩士の土方久元は、土佐勤王党に加わり藩命により上京。三条実美の信を得て、文久3年(1863)の「八月十八日の政変」による「七卿落ち」では、三条に従い長州、ついで大宰府に同行しています。
 この間、中岡慎太郎とともに、薩長同盟成立に尽力。明治維新後は東京府判事等を経た後、宮内少輔、内務大輔、太政官内閣書記官長、侍補、宮中顧問官、元老院議官などを歴任。明治17年(1884)には子爵に叙爵しています。
 明治20年(1887)第1次伊藤内閣では農商務相として入閣し、次いで宮内大臣に転じると、天皇親政派の中心人物として、立憲君主制確立のため君権を制限しようとする伊藤博文らと論争を繰り広げながら11年間在任。枢密顧問官を兼ね、大正3年(1914)宮内省臨時帝室編修局総裁。国学院大学長、東京女学館館長等も歴任しています。
 明治28年(1895)には伯爵に陞爵。大正7年(1918)死去。享年84歳。爵位を継いだ孫の与志は、新劇運動に熱中し演出家として活躍しますが社会主義に傾倒し、昭和9年(1934)に爵位を取り上げられています。


染井霊園 一種ロ6号12