空手バカ一代 大山倍達 | 墓守たちが夢のあと

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大山倍達の墓

 

 

 昭和46年(1971)から6年間「週刊少年マガジン」に連載され、テレビアニメや映画にもなった「空手バカ一代」のモデルで、極真空手の創始者でもある大山倍達の墓が護国寺にあります。
 昭和18年(1943)松濤館流の船越義珍に師事。その後松濤館流と剛柔流を主に学んだ大山は、昭和22年(1947)京都で開催された戦後初の空手道選手権で優勝。その後、渡米してプロレスラーやプロボクサーと対戦しながら空手のデモンストレーションを実施します。
 帰国後に牛を素手で倒すデモンストレーションを実施し、その様子を映画「猛牛と戦う空手」(昭和29年)として公開。
 柔道やボクシングを含め、様々な格闘技を学び研究した大山は、フルコンタクト制の格闘技「極真空手」を創始。昭和31年(1956)に大山道場を開き、昭和39年(1964)には国際空手道連盟極真会館を設立し、名だたる弟子・名選手を輩出し。現在、多数存在するフルコンタクト系各流派を生み出す元ともなりました。
 世界120ヶ国に公認道場を持ち、1200万人の門弟を持つ極真空手の総裁として活躍した大山は、平成6年(1994)肺癌のため急逝。享年70歳。
 大山倍達の墓は、護国寺の大名茶人・松平不昧公の墓のすぐ近くにあります。


東京都文京区大塚5-40-1 護国寺