ダンサー 伊藤道郎 | 墓守たちが夢のあと

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 ダンサー、振付師として活躍した伊藤道郎は、建築家・発明家として知られた伊藤為吉の次男として明治26年(1893)東京府東京市神田区で生まれます。
 慶応義塾普通部を卒業後、オペラ歌手・三浦環に声楽を学び、声楽家を志し19歳でパリに留学。ベルリンでイサドラ・ダンカンの舞台に感動した伊藤は、舞踊家に転身し、ドレスデン郊外のエミール・ジャック=ダルクローズ舞踊学校に入団。その後、英国、米国でダンサーとして活躍する一方、ニューヨークとハリウッドにミチオ・イトウ芸術舞踊学校を開設し多くの門下を養成します。
 ニューヨーク時代にアメリカ人女性と結婚し二人の子供をもうけますが、日米開戦で抑留され、昭和18年(1943)に家族を残し日本へ帰国。戦後、舞踊以外に新劇の演出、ファッション・モデルの養成など多方面で活躍し、昭和39年(1964)の東京オリンピックで開会式、閉会式の総合演出を担当することとなります。
 しかし、昭和36年(1961)オリンピックの開催を待たずして伊藤は死亡。昭和47年には「ダンスマガジン」誌で“世界の十大ダンサー”に選ばれています。
 歌手、俳優として活躍したジェリー伊藤は道郎の次男です。


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