田沼家最後の藩主 田沼意尊 | 墓守たちが夢のあと

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田沼家累代の墓

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戒名

 相良藩主(田沼家7代)田沼意留は、天保11年(1840)に隠居し、22歳の嫡男・田沼意尊(おきたか)に家督を譲っています。
 意尊は文久元年(1861)に若年寄に就任。元治元年(1864)に勃発した水戸藩浪士による「天狗党の乱」では幕府軍総督として乱を鎮圧し、武田耕雲斎らを処刑しています。
 明治元年(1868)に相良領が徳川宗家の駿府藩領に組み込まれたことから、意尊は上総小久保藩に移封。明治2年(1869)の版籍奉還により藩知事となると近代的な藩校創設に尽力しますが、同年12月24日、51歳で亡くなっています。


勝林寺:豊島区駒込7-4-14