千葉周作の三男、千葉道三郎 | 墓守たちが夢のあと

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 巣鴨の本妙寺にある幕末期の剣豪で北辰一刀流の創始者、千葉周作の墓所には三男の道三郎の墓もあります。
 周作には四人の息子がいて、いずれも周作の門人として剣術の修行に励んでいます。千葉周作は道場「玄武館」を運営するかたわら剣術指南を行った水戸藩にも仕えますが、息子をはじめ多くの門弟も水戸藩に仕官しています。
 周作の後継者として期待された長男の寄蘇太郎が若くして亡くなったため、道場は次男の栄次郎が継ぎますが、栄次郎はすでに分家を興していたので、三男の道三郎が千葉宗家を継いだのです。
 栄次郎は「千葉の子天狗」と恐れられる剣の達人で、北辰一刀流の行く末は安泰と思われましたが、嘉永6年(1853)に30歳の若さで亡くなり、道三郎が北辰一刀流三代目に就任します。
 道三郎は兄弟の中で最も穏やかな性格でしたが、二刀を操る剣豪でもあったそうです。水戸藩においては床机廻り役を務め、周作亡き後、大番格に進みます。そして維新後の明治5年(1872)に明治天皇に侍従として仕えることとなりますが、その当日に38歳で亡くなっています。
 道三郎の長男・勝太郎は眼病のため失明したため道場を継承せず、やがて玄武館は閉鎖。
 北辰一刀流は、栄次郎の遺子・周之介之胤により一時、玄武館が再興されたものの、現在では門人たちにより継承された水戸や徳島、そして東京に数ヶ所道場を残すのみとなっています。


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本妙寺:東京都豊島区巣鴨五丁目35番6号