本因坊秀元の孫 土屋半七 | 墓守たちが夢のあと

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土屋家之墓

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墓の側面

 巣鴨の本妙寺に囲碁の家元・本因坊家の墓所がありますが、その一画に墓所を管理している土屋家の墓があります。
 土屋家は十四世本因坊秀和の子孫で、秀和の息子、秀悦、秀栄、秀元も本因坊家当主となっています。
 土屋家の墓は二つあり、一つは新しく誰の子孫か分からないのですが、もう一つの墓は秀元の長男・萬吉の家系の土屋家であることが分かりました。
 萬吉が囲碁棋士であったかは分かりませんが、萬吉の息子である土屋半七は囲碁棋士として活躍していたそうです。
 半七は、坂田栄男(二十三世本因坊栄寿)の師匠でもある女流棋士・増淵辰子の門下で二段まで進みましたが、昭和27年(1952)に32歳で夭折しています。
 半七の戒名は「本果院通達日棋信士」と囲碁を意味する「棋」の文字が入っていました。


本妙寺:東京都豊島区巣鴨五丁目35番6号