剣豪千葉周作の孫 千葉勝太郎 | 墓守たちが夢のあと

墓守たちが夢のあと

歴史に名を残した人物の墓所データベースです。

イメージ 1

 北辰一刀流の創始者、千葉周作の道場「玄武館」は周作の三男・道三郎が明治5年(1872)に亡くなると、門弟たちにより運営されますが、剣を必要としない時代背景により東京府が一切の撃剣興行を禁じた影響もあり、やがて閉鎖されます。
 道三郎の息子、千葉勝太郎勝胤は、北辰一刀流宗家の後継者として幼いころより英才教育を受けますが11歳の頃、病のため失明し道場の継承を断念しています。
 勝太郎は宮内省侍医・岡本元資に弟子入りし鍼術を学び、神田小川町に鍼医院を開業。さらに、杉山鍼按学校を開設し、日本の鍼灸養成の礎を築いていきます。
 この他、板垣退助の支援により設立された盲人医学協会(現在の東京都盲人福祉協会)の初代会長に就任し視覚障碍者の支援活動を主導していきます。
 また、勝太郎は、祖父周作の遺稿集である「千葉周作遺稿 剣法秘訣」を大正4年に刊行したことでも知られています。


本妙寺:東京都豊島区巣鴨五丁目35番6号