読売新聞社社主 正力松太郎 | 墓守たちが夢のあと

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歴史に名を残した人物の墓所データベースです。

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円覚寺入口

 
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正力松太郎の墓
 
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家紋は「横木瓜紋」
 
 臨済宗円覚寺派の大本山で、鎌倉五山第二位に列せられている「円覚寺」に正力松太郎の墓があります。正力は、元読売新聞社社主で日本テレビ放送網などを経営。またプロ野球・読売ジャイアンツを創立し、「プロ野球の父」、「テレビ放送の父」、「原子力発電の父」とも呼ばれています。
 正力松太郎は、東京帝国大学法科大学を卒業後、内務省を経て、警視庁に入り警務部長になります。しかし大正12年(1923)に皇太子(昭和天皇)が狙撃された「虎の門事件」が発生し、警備責任から引責辞職します。
 翌年、経営難にあった読売新聞を買収し社長として政財界に影響力を持っていった正力ですが、一方で昭和9年(1934)にベーブ・ルースらアメリカ大リーグ選抜チームを招聘、大日本東京野球倶楽部(読売ジャイアンツ)を創立しています。
 大政翼賛会総務に就任するなどしたため、戦後GHQにより公職追放されますが、復帰後に日本テレビ初代社長に就任。その後、政界にも進出し昭和30年(1955)の第27回衆議院議員総選挙で当選すると、 原子力委員会の初代委員長、初代科学技術庁長官などを歴任しています。
 昭和44年(1969)10月9日、満84歳で亡くなりますが、亡くなった当日は奇しくも、自ら創設した読売ジャイアンツがセントラルリーグを制覇した日だったそうです。
 
鎌倉市山ノ内 円覚寺境内