大阪市天王寺区の一心寺の墓所に「林藤四郎墓」の案内がありどういう人物であったか調べてみました。
林藤四郎吉忠は、松平家(徳川家)譜代の家臣、三河林氏7代目当主です。同じ松平家譜代の上林越前政重の長男として生まれ、林家の養子となっています。
徳川秀忠に仕え、元和元年(1615)に大阪の陣に参戦。大番頭高木主水正次(河内丹南藩初代藩主)隊に属して戦いますが、隊が「大坂夏の陣」における最後の戦いである「天王寺・岡山の戦い」で明石全登と激突した際に戦死しています。
林家は吉忠が亡くなった直後に生まれた実子の林忠勝が継承。林氏は江戸時代後期まで旗本でしたが文政8年(1825)、林忠英の代に貝淵藩1万石の大名となり、子の忠旭の代には陣屋を移し請西藩となっています。
一心寺:大阪府大阪市天王寺区逢阪二丁目8-69