天文方10代目 渋川佑賢 | 墓守たちが夢のあと

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渋川佑賢の墓

 

 

 

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背面に刻まれた「渋川助左衛門源佑賢」の文字
 
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亡くなったのは安政4年10月。天文方になったのは僅か数ヶ月でした。
 
 渋川佑賢(しぶかわ すけかた)は江戸幕府天文方・渋川景佑の次男として文政11年(1828)に生まれます。
 兄敬直は水野忠邦の側近として「天保の改革」を推進しますが、水野の失脚により改革の失敗の罪を問われて豊後臼杵藩に配流されます。
 そのため、佑賢は弘化4年(1847)に天文方見習となり、安政4年(1857)3月に父の死を受けて天文方を継いでいます。しかし、天文方を継いだ同年10月に病のため亡くなっています。
 渋川家は兄敬直の嫡男・敬典が佑賢の養子となって継承します。渋川敬典は最後の天文方で、明治2年(1869)に天文方が廃された後は、大学星学局に属した後、東京天文台職員として活躍しています。
 なお、敬典の墓は東海寺大山墓地には見当たりませんでしたので、こちらにある渋川家当主の墓は初代春海から10代佑賢までと思われます。
 
東海寺大山墓地(東京都品川区北品川4-11-8)