天文方6代目 渋川光洪 | 墓守たちが夢のあと

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渋川光洪の墓。法号は天真院春室紹夢居士。

 
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裏面には「渋川図書源光洪座」と刻まれています。
 
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墓石の側面には亡くなった年の「明和八年卯年」の文字が刻まれ、反対側には「正月二十二日」とあります。
 
 渋川光洪(しぶかわ みつひろ)は、5代目渋川則休の弟で、通称孫次郎・図書といいます。
 寛延3年(1750)に兄の急逝に伴い天文方の地位を継ぐと、兄の遺志を継いで西川正休とともに改暦のために上洛します。しかし、改暦を命じた徳川吉宗が亡くなり、その混乱に乗じて陰陽頭土御門泰邦は西川を京から追放。改暦の主導権を握ってしまいます。
 後ろ盾を失った光洪は泰邦に屈し、泰邦主導で作られた宝暦暦で泰邦の門人という扱いで署名する事となります。
 子供がいなかった光洪は、天文学とは無縁な家から甥にあたる渋川正清を養子に迎え明和8年(1771)に亡くなっています。
 
東海寺大山墓地(東京都品川区北品川4-11-8)