幸手市の本因坊烈元の墓(再訪問) | 墓守たちが夢のあと

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澤村家の墓

 
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烈元の墓(左から2番目)
 
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墓石に刻まれた「本人坊」と「もよ」の文字
 
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現地説明板
 
 埼玉県幸手市の囲碁家元、八世本因坊伯元九世察元の墓に続き、十世烈元の墓にも再訪問してきました。
 烈元は、従来江戸の出身と考えられていましたが、幸手市で伯元、察元の墓が発見された際、上吉羽の澤村家から墓所に「本人坊」と刻まれた墓があることが届けられ、調査の結果、十世烈元の墓である事が確認されたそうです。
 「本人坊」と刻まれているのは、江戸時代は「本因坊」をホンニンボウと発音していたそうで、語感から「人」の字を当てはめたものと考えられています。
 新しく設置された説明板には、隣りに刻まれた「もよ」という人物は烈元の妻ではないかと解説されていました。
 
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埼玉県幸手市上吉羽328