第27代内閣総理大臣・浜口雄幸 | 墓守たちが夢のあと

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浜口首相襲撃現場。床にマークがあります。(東京駅)

 
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事件を説明するプレート(東京駅)

 
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浜口雄幸の墓(青山霊園)

 
浜口雄幸
 
 東京の玄関口である東京駅では色々な人が行き交い、過去に様々な事件が起きてきました。
 在来線改札を入り、新幹線の改札へ行く階段の手前の柱に「浜口首相遭難現場」のプレートが設置されています。
 浜口首相とは第27代内閣総理大臣・浜口雄幸の事で、昭和5年(1930)11月14日に、この場所で右翼に銃撃され重傷を負っています。
 浜口首相は、高知県出身で 大蔵省に入省し大蔵次官などを務めた後、政治家へ転身します。大蔵大臣、内務大臣などを歴任した浜口は、立憲民政党初代総裁に就任、張作霖爆殺事件の責任を取って辞任した田中義一内閣の後を受けて昭和4年(1929)に内閣総理大臣となります。浜口は明治生まれ初の首相だそうです。
 その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれ、国民から圧倒的な支持を得ていた浜口は、前日本銀行総裁・井上準之助を蔵相に起用し金解禁や緊縮政策を断行する一方、第一次世界大戦後、軍備拡張を狙う海軍を抑えて国際協調を重視し軍縮を行ったため、右翼の反感を買います。
 岡山県浅口市で行われる陸軍の演習視察と、昭和天皇の行幸への付き添いのため東京駅を訪れた浜口首相は至近距離から銃撃され、一命はとりとめたものの、骨盤が砕ける重症を負います。翌年1月21日に退院し療養しますが、野党・政友会に所属する鳩山一郎らは与党へ攻勢をかけるため執拗に浜口の登壇要求を行い、3月10日に無理をおして登壇。その後も続く野党の登壇要求に応じた浜口は容態を悪化させ、とうとう首相を辞任し8月26日に亡くなります。
 浜口雄幸の墓は青山霊園にあります。
 
青山霊園 1種ロ8号1側14