海援隊士 白峰駿馬 | 墓守たちが夢のあと

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 坂本龍馬の設立した海援隊の隊士であった白峰駿馬は長岡藩士で、文久2年(1862)に江戸に出て勝海舟の門下生となります。
 「神戸海軍操練所」に参加し、操練所が閉鎖されると龍馬が設立さた亀山社中(海援隊)に入り「太極丸」の船将として活躍しています。白峰は坂本龍馬が暗殺された直後に殺害現場の近江屋へ急行しています。
 明治2年(1869)にアメリカへ留学し、ニューヨーク海軍造船所などで造船学を学んだ駿馬は、帰国後の、明治11年(1878)に「白峯造船所」を設立し、日本の造船業界の先駆者として活躍しました。明治42年(1909)に勲六等瑞宝章を下賜され、同年に63歳で死亡、青山墓地に葬られました。
 
青山霊園 1種ロ5号8側21番