第4代、第6代内閣総理大臣 松方正義 | 墓守たちが夢のあと

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松方正義の墓

 

松方正義

 

 第4代内閣総理大臣・松方正義は天保6年(1835)に薩摩藩の下級藩士の家に生まれますが、藩主に認められ薩摩藩郡奉行、船奉行を歴任します。
 明治維新後は日田県知事として別府港の築港、別府温泉の開発を行うとともに、隣りの福岡藩から太政官札の偽札が県内に流入している事を突き止め告発するなど手腕を発揮し、大久保利通の推挙で明治3年(1870)に民部大丞として中央政界に進出します。
 その後、地租改正事業に従事しますが、財政方針を巡って大蔵卿・大隈重信と対立したため、伊藤博文の配慮によって内務卿に転出しています。
 明治14年の政変により大隈重信が失脚すると大蔵卿に就任し、日本の中央銀行である日本銀行の創設と、紙幣整理に取り組みます。
 明治18年(1885)に、第1次伊藤内閣が発足すると初代大蔵大臣に就任。明治24年(1891)に山縣内閣が倒れると大命により第4代内閣総理大臣(兼大蔵大臣)に就任しています。しかし、内閣は閣内不一致や不安定な議会運営により一年で解散。第2次伊藤内閣が発足します。
 明治29年(1896)に伊藤内閣退陣により再登板した松方は、貨幣法を公布して金本位制を実施するなど大きな業績を残し、晩年は元老、内大臣として政局に関与し影響力を行使しました。
 松方は大正13年(1924)に呼吸不全により89歳で死亡。東京三田の自宅で国葬が執り行われ、青山霊園へ埋葬されています。
 
青山霊園 1種ロ17号1側