「ロート目薬」を開発 井上豊太郎 | 墓守たちが夢のあと

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井上豊太郎の墓

 
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井上博士の顕彰碑(墓の隣り)
 
 文久元年(1861)に、現在の島根県大田市仁摩町に生まれた井上豊太郎は、島根県医学校を卒業後、1889年からドイツへ留学、ベルリン大学やミュンヘン大学などで学び、1895年には医学博士の学位を取得します。
 1896年に帰国すると東京眼科病院を開院。1909年に、当時、眼病が流行っていたためミュンヘン大学時代の恩師であるロートムント博士の処方箋を参考に目薬を処方します。恩師の名をとって「ロート目薬」と名付けられた目薬は信天堂山田安民薬房(現ロート製薬)の山田安民が調製・発売し大ヒット商品となります。当時の広告には「井上博士のロート目薬」というキャッチコピーが付けられていたそうです。
 なお、信天堂山田安民薬房は「ロート目薬」が社を代表する製品となった事から、昭和24年(1949)に社名を「ロート製薬」と改めています。
 一方、井上博士はその後も日本の眼科の第一人者として活躍し昭和26年(1951)に亡くなっています。
 
東京都港区 青山霊園 1種イ1号18