桜尾城城主 友田(藤原)興藤 | 墓守たちが夢のあと

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洞雲寺本堂

 

 

 

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友田(藤原)興藤の墓
 
 広島県廿日市市の「洞雲寺」境内にある陶晴賢の墓の近くに、洞雲寺の近くにあった桜尾城の城主・友田(藤原)興藤の墓があります。
 厳島神社の神主を務める藤原神主家は島の対岸に桜尾城を築城し城主を務めてきました。友田興藤は、その一族で、洞雲寺を創建した藤原教親の甥です。
 興藤は、永正15年(1518)に大内義隆が神領を直接支配したことに反抗し、実力で神主になり、度々、桜尾城を中心に攻防をくり返しますが、天文10年(1541)、ついに大内氏の攻撃に抗しきれず、城に火を懸け自刃しています。
 友田興藤の墓は、総高199.5cmの花こう岩製の宝篋印塔で、塔身部の正面格狭間に「興藤」、その横に「天文九年庚子八月日」と刻まれています。興藤が亡くなったのは天文10年4目6日といわれていますので、この印塔は興藤が生前に建立した逆修塔だろうと考えられています。貴重な室町時代末期の標準的宝篋印塔として廿日市の指定史跡となっています。
 
広島県廿日市市佐方1701-1