長州藩2代藩主 毛利綱広 | 墓守たちが夢のあと

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イメージ 1毛利綱広の墓
 
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毛利家墓所参道
 
 山口県萩市の大照院は長州藩歴代藩主のうち7名の藩主の墓がありますが、寺院は2代藩主・毛利綱広が父親の初代藩主・秀就の菩提寺として建立しました。そして、綱広自身の墓もあります。
 長州藩2代藩主・毛利綱広は初代秀就の四男として寛永16年(1639)に生まれます。母親は徳川家康の孫であり綱広は家康曾孫に当たります。参勤交代のための街道「萩往還」を整備し、藩政では「33か条の条目」を制定するなど長州藩の地盤強化に努める一方、越前松平家から従姉妹を正室に迎えるなど将軍家との関わりを深かめていきますが、名門・毛利家当主であるという自尊心が強かったのか、江戸に居ながら江戸城に登城しないなどの行動をとったため、改易を恐れた家臣の反発を招き天和2年(1682)に隠居に追い込まれます。そして、元禄2年(1689)に51歳で亡くなりました。
 
大照院:山口県萩市大字椿4132番地
撮影日 2012.11.16