長州藩第4代藩主、毛利吉広は第2代藩主・毛利綱広の次男として延宝元年(1673)に生まれます。貞享元年(1684)に長州藩の家老を務める右田毛利家(毛利家一門)当主毛利就信の養嗣子となりますが、異母兄で第3代長州藩主・毛利吉就が嗣子が無いまま亡くなると、その養嗣子として第4代藩主に就任します。藩主就任当時、財政がひっ迫していたため、海岸の干拓や河川の治水工事などを行ないますが、宝永4年(1707)に改革の道半ばで35歳の若さで亡くなっています。
大照院:山口県萩市大字椿4132番地
撮影日 2012.11.16