上杉景勝正室 甲州夫人 菊姫 | 墓守たちが夢のあと

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 米沢市の林泉寺にある上杉家墓所には歴代藩主夫人の墓があります。

 

 初代藩主・上杉景勝の正室・菊姫は上杉謙信と永年争いを繰り返した武田信玄の娘で甲州夫人と呼ばれていました。
 天正3年(1575)、長篠の戦いで兄の武田勝頼織田信長に敗れて以降、武田氏の勢力は衰退していきます。一方、上杉家では謙信が亡くなり、その後継争いとして景勝と北条氏康の子である上杉景虎との間に「御館の乱」が起こります。勝頼は上杉氏と同盟を結んで信長に対抗するため、景勝は上杉家継承を優位とするためと両者の利害が一致し、天正7年(1579)に甲越同盟」が締結されますが、両家の同盟の証として菊姫が上杉景勝に嫁いだのです。
 菊姫は嫁いだ後、上杉家中から甲州夫人と呼ばれ敬愛されますが、天正17年(1589)、豊臣秀吉小田原征伐に際して諸大名たちの妻女を人質として京都へ住まわせるよう命令したため、菊姫も上洛し京都伏見の上杉邸で暮らし始めます。上杉家は慶長3年(1598)に越後から会津120万石へ転封となり、後に関ヶ原の戦いでの敗北により米沢へと移封されますが、その間、菊姫が領地へ帰る事はありませんでした。
 慶長8年(1603)より病床に伏し、翌年に上杉家の伏見屋敷で死去享年42。菊姫死去の報を聞いた景勝や家臣たちは大いに悲しんだと伝えられています
 
山形県米沢市林泉寺1-2-3
撮影日:2012.11.25