その友達はマッチングアプリで知り合った方と一年ほど交際していたが、最近お別れした。
別れを機にアプリを再開したらしく、互いの進捗状況について話した。
私の先日の失恋話は以前から伝えており、出会っても出会ってもピンと来る方がいないことも話した。
『ミントちゃんはストライクゾーンが針の穴くらいちっちゃいからね🤣』
『そうよ!で、やっと来たストライクにはこっぴどい目に遭うし!🤣』
ゲラゲラ笑いながら話した。
もはやネタであるw
やっと…笑い話にできるようになったと、彼女とバイバイした後、思った。
100%ではないけれど、毎日の暮らしの中で記憶はどんどん押し流されている。
仕事中、ふと思い出しまだチクリとはする。
けれど悲撃のヒロイン状態からは脱したな…と思った
『もっと早くこうしておけばよかった』
とも思った。
ヤツがアプリに再登録なんぞしていた事が分かった時点で『あ、そんなヤツだったのね。』と、サッサと撤退してりゃ、こんなに長引くことはなかったのだ。
どれだけ傷ついて、その後もどれだけ振り回されたか。
。。。。と思ってはみるが、『恋は盲目』とはよくいったもので、あの時の私は完全に冷静さを欠いていた。そしてあの時の私はきっと、そうするしかなかったのだろう。
今となり、冷静さを取り戻せば取り戻すほど自分は本当に、殿方を好きになったらダメ女になってしまうのだな…とも正直、つくづく思う。
頭ではダメだと分かっていても、決して幸せな恋愛にはならない、よろしくない男性だ…と理解していても、『好き』という気持ちに負け、相手に完全にイニシアチブを奪われて泣く羽目になる
そして…嫌われたくなくて言いたいことが言えず、それでも相手に好かれたくて、愛されたくて、度重なる我慢と辛さが積み重なり、心が疲弊して限界を超えて最後は自爆する。
悲しいかな、これが
『The恋愛体質・自分軸のない四十路、私あるある』
なのだ
恋愛というのはきっと、うまく行く時は何をしてもうまく行くのだろう。
ダメな時は何をしてもきっとダメなのだ。
自分で自分を満たし、他人軸にならず自分軸で生きる努力は人としてとても大切だ。
でも、うまく行く恋愛というのはごく自然に、相手も自分も満たしていける自分でいれるのだろう。
交際は相手あっての事。
1人だけが相手に向き合うことに注力しても、もう1人にその気がなければそもそも成立しない。
片想いも立派な恋愛だが、やはり好きな相手に愛されたい、向き合ってもらいたいと考えるのがごく自然な人間の感情なのではないだろうか。
そのごく自然な感情から逃げず、傷つく事を怖がらずにぶつかった自分の事を、冷静になった今、私はそれだけは褒めたい。
そして…今度は相手に執着し過ぎず、『自分軸』を持った恋愛をしたい。
それはきっと、難しいだろう。
またもし誰かを好きになったら、今までの経験から不安に押し潰されそうになるだろう。
また冷静さを欠くかもしれない。
でも…うまく行く時はうまく行く。
信頼の絆はどこかにある。
人生きっと、なるようになる
そう信じて、明日も頑張ろう