今年の初めごろ、大学院時代の同期からメールが転送されてきた。
研究室の先生(教授)からのメールだった。
住まいを転居されたことの知らせと、簡単な近況報告、
また、今までは研究室のOB/OGの、「便りがないのはいい便り」を
良しとして、特に積極的に連絡を取っていなかったが、
最近ある方から、「卒業生のよりどころとしての研究室の重要さ」を
意見され、ネット時代の利点を活用してMLにして情報発信をしようと
考えているので、一人でも多くの卒業生にメールを転送して、
連絡をしてほしい、ということが書かれていた。
卒業後、2008年ごろまでは毎年先生に年賀状を送っていたが、
一昨年からはやめていた。
でも、今年は結婚して初めての年、ということで報告がてら送った。
しかし・・・・以前なら返信してくれた先生からの、年賀状は届かなかった。
この転送メールを読んで、もしや新居に転送されていないのでは、と思い、
今朝、ふと思い立って先生にメールを送った。
昼休みに確認してみると、先生からメールが届いていた。
『メールありがとうございます.
また,ご結婚おめでとうございます.
賀状をい ただいていましたが,まだお返事していませんでしたね.
以下,お元気そうで,また,前向きに生きておられるようで安心しています.
いずれ機会を見 て,お目にかかりましょう.』
短いメールだけれど、でも必要な内容はすべて網羅されていると思った。
年賀状が無事先生の手元に届いていたことがわかって安堵した。
また、「いずれ機会をみて~」のくだり、素敵な言い回しだなと思った。
大学院の所在地は今住んでいるところからかなり遠いし、
有機金属化学、いや、化学とさえもはや何の関係もない私が
遠いかの地の先生を訪問する機会はないような気がするが、
(それは先生とて同じことを思っておられると思うが・・・・)
それでも、「いつか」ではなく「いずれ」、「機会をみて」という
表現が、いずれ本当に会う機会が到来するかもしれない余韻を
含んでいて、なんとなくうれしかった。
もう現在とは接点のない、学生時代の恩師や、前の会社の上司。
でも、年賀状で時折つながると、何となく嬉しくなる。
今はメールで即座につながる。
メールって素敵だ。