母、旅立ちの記録-10 お通夜 | あなたに,も一度恋をする

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ご訪問ありがとうございます。

91歳の認知症・母の介護ブログを綴っています。

心温かな訪問介護ヘルパーさん達のおかげで

母の完全自宅介護が実現して1年半。

このまま自宅で最期を迎えられたらと思っていた矢先、

私の乳がん発覚で、自分の治療と

母の介護との両立のなか、

母が旅立ちました。

その記録を詳細に綴ります。

 

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この記事は以下の記事から連載になっています。

長文ですので、読んでいかれるうちに

お疲れになるかもしれません。

ご興味ある方のみ、読み進めてくださいませ。

 

                   1話9話まで

 

 

 

18時の通夜式の時間が近づいて、

私達親族は葬儀のスタッフさんの

声掛けを受けて席につきました。

 

 

そして次々に会場に入ってこられたご参列者の方々。

親しかったご近所の3名の方や、

自治会の副会長の方。

最初のケアマネを担当してくれた私の友人。

そしてお世話になった在宅介護の所長様と、

母をお世話してくださったヘルパーのSさん。

 

このSさんがハンカチで

目頭を押さえていらっしゃる姿を見た途端、

私は生前の母と過ごした日が蘇ってきて、

一気に感情があふれて、

涙が止まらくなりました。

 

在宅介護の所長様から、

お通夜に伺うというLINEを昨日頂いた時、

『ご無理のないお時間に、

手ぶらと平服でお越しください。』

と送信していたのですが、

お二人は喪服を着て、お越し下さいました。

 

以前、どなたからか、

訪問ヘルパーの方や訪問看護の方は

死去の知らせを受けても通常は参列せず、

仮に参列しても顔をお見せする程度に控え、

服装も仕事着で来られると聞いていたので、

きちんと正装して参列して下さった事に

ありがたい気持ちでいっぱいになりました。

 

 

通夜の時刻が来て、

司会者の方のナレーションが、

私とのやりとりで起こした文面を

ゆっくり読み上げられる。

その後、ご住職が姿を見せて、

厳かな読経が始まりました。

読経が終盤になると、

お焼香が始まるナレーションがあり、

喪主、親族・参列者の順に前に出て

お焼香をしていく。

 

そしてそれが終わると、

ご住職は読経を終え、

参列者に向けて仏教の説法を説かれました。

お話を終えたご住職が会場を去ったあと、

私の通夜会葬御礼の挨拶の時間です。

 

昨夜作った挨拶状。

それを握りしめて皆様の前に立ち、

読み始めました。

それは長い長い挨拶状でしたが、

自分の思いのたけを込めたものでした。

途中、涙で詰まった箇所もありました。

 

この挨拶を読み終えたあと、

通夜は終了しました。

 

ご参列して頂いた方へお一人お一人に

お礼を述べるためにご挨拶をし、

所長さんの前に行った時、

所長さんがお香典袋を

「どうか受け取って頂きたい。」

過分なご厚意を示されたので、

「介護の方はそれはしてはなりません。

介護して頂いた皆様からは、

このお香典の数万倍のものを

母はすでに頂戴しております。」

と言って、鞄の中に収めて頂きました。

 

思い起こせば、

数々の想い出がよぎります。

母はこうして心ある方々から、

本当によくして頂いた。

 

そうして、ご参列頂いた方の

お見送りをしました。

 

その後、時間をおいて、

ヘルパーのKさんとMさんが

お仕事を終えたあと、

喪服に着替えて駆けつけてくれました。

と同時に、

後半お世話になった2人目のケアマネさんも

来て下さいました。

 

そして皆でお棺の中の母の元に行き、

母の顔を見ながら話しかけてくださった。

その時、私はお棺に入った母に、

初めて声をかける事が出来ました。

 

「KさんとMさんが来てくれたよ。

お母さん、会えてよかったね。」と。

まるで生きている母に話しかけるように…。

 

母の死去後、この時がやっと

自分を取り戻せて、

ほっと出来た瞬間だったように思います。

 

 

以前、『長生きの悲劇-子供に先立たれる事』

と題した記事をあげた事がありました。

もしこのまま母がずっと長生きして、

私が先に死んでしまったら、

母はどれほど悲しむだろうか…

何としても母より長く生きなければ…

そればかりが頭をめぐった数か月でした。

 

 

通夜の時の挨拶状

これをそのまま記事の一部として

記載させて頂きます。

(長文です。

お疲れにならない方のみご覧下さい。)

 

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通夜 会葬御礼 挨拶

 

遺族を代表致しまして、

ご挨拶を申し上げます。

本日はお忙しい中、

母のお通夜にご参列頂きまして誠にありがとうございました。

母に代わり厚く御礼申し上げます。

 

母の想い出は尽きませんが、

ひとつのエピソードをお話させて頂きます。

あれはまだ私がまだ幼稚園の頃だったと記憶しております。

ある夜、母が私を膝に抱いて、

母は力なさげに、唐突にきいてきました。

「minnちゃん、

私が年をとっておばあちゃんになったら、面倒みてくれる?

みてくれないよねぇ。

おばあちゃんの面倒なんていやだよねぇ。」と。

私は子供心に母が可哀そうに思えて、おもわず

「私がおかあちゃんの面倒みる。絶対、みる。」

と返しました。

母は「ありがとう。」と

嬉しそうに笑みを浮かべていました。

 

この時のやり取りは、

私の中で強烈に焼き付いてしまいました。

そして、その後も脳裏から離れる事はありませんでした。

やがて歳月は過ぎ、

姉も私も成人して結婚し、姉は岡山に、

私は東京に拠点を移して暮らしていました。

その頃私の父ががんで亡くなり、

母は50代にして未亡人となりました。

今から31年前の母58歳、父60歳の時です。

 

私は母の今後を心配し、

幼い頃に母にたてた誓いを思い出し、

いずれ訪れるであろう母の老後問題を考え、

大阪に帰省する以外にないと思い、

夫と夫の家族に理解を求め、実家に移り住みました。

 

当時結婚していた夫は32歳、

軌道に乗っていた職を諦め、

知らない大阪の土地での再就職は

夫にとって、大きな試練だったと思います。

加えて、小さな家での母親との同居生活は、

決して快適なものではありませんでした。

 

ですが、今ふりかえれば、

三人で暮らした31年の歳月は、

ケンカをたくさんしつつも、

皆で協力して暮らした、かけがえのない歳月になっていました。

当時仕事のキャリアを捨てて大阪に移り住んでくれた夫には、

今も深く感謝しています。

 

そんな夫は、

母が亡くなってから二日後の昨夜、

母の部屋の掃除をしながら、

母と行った外食や温泉に行った楽しい想い出が蘇ってきて胸が詰まった言い、

母を思い出そうとすると、そうした楽しい想い出しか浮かんでこないと語りました。

 

しかし私における母の想い出は、

母の介護で費やした近年五年の歳月が、

今この時点でも、記憶の大半を占めています。

 

母が2018年にアルツハイマー型認知症を確定診断されてから、

そこからは坂をころがり落ちるように生活が変わっていきました。

常に見守りをしなければならない不安と隣り合わせの日々の始まり。

そして転倒や徘徊が繰りかえされ、連続して起きた骨折事故。

そして2年前に発症した高齢者てんかん。

どんどんと見守りが過酷になっていくなか、

意外にも母は私にとっての子供のように、

可愛く愛おしい存在に変化していく事になります。

 

恐らくそれは、

介護プランを施設利用から自宅介護へ切り替え、

介護ヘルパーの方々の訪問を週五日に増やして頂いた点だと思います。

その事で自分を含む3名のチームが結成され、

そのチームが自分にとって、もうひとつの家族のように思えたのかもしれません。

 

また、母がもともと持っていた穏やかな気質もあり、

ヘルパーの方は母に優しく接して下さいました。

声掛けや笑顔、私はそれらすべてを手本にしました。

そうして母は、

今まで外部施設では見せる事のなかった笑顔が生まれ、

その笑顔を私が見ては、

やがて自分にも忘れていた笑顔が戻るようになっていきました。

 

このヘルパーの皆様を始め、

最初に介護の道を切り拓いて下さった私の友人であるケアマネージャーや、

いつも介護者の希望を組もうとしてくださった介護事業所の所長様、

そして医療関係者の方々、

それらの方々からの力強いサポートと、

介護者へのねぎらいの言葉を頂いていたからこそ、

心がつぶれずに乗り切れた介護生活であったと思います。

 

そして、介護関係者の方々だけでなく、

ご近所さんからもたくさんの応援を頂きました。

時には庭先に咲いた花束の贈り物や、食べ物のお差し入れを頂きました。

ぬか漬けや、おこわや、栗ご飯。

血の繋がりのない方々から、こんなにも親身になって励ましを頂いた事は、

きっと生涯忘れ得ぬ想い出になるに違いありません。

 

そしてそんな方々と出会わせてくれたのは

母が繋げてくれたご縁であり、

私は何だか、母から素晴らしいご褒美をもらった気がしています。

母の逝去に今も涙は尽きません。

しかし同時に、親の旅立ちを見届ける事が出来た事に、

あの幼い頃に誓った母との約束を果たせたような、

そんな静かな安堵感にも包まれています。

 

とりとめのないご挨拶となってしまいましたが、

今後とも、母の生前中と変わらぬご指導を賜りますよう、

私も精進致します。

本日は誠にありがとうございました。

母を愛してくださった全ての方に、

この場をお借りし、深く感謝を申し上げます。

 

                                                minnta

 

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追記

今日も長文におつきあい頂きまして

ありがとうございました。

今後の記事は、葬儀やお寺にかかった総額や、

死去後の手続き、生前に準備しておいたほうがよい事などを

記していきたいと思っています。

それらは、またの記事で。