母、旅立ちの記録-8 喪主は忙しい | あなたに,も一度恋をする

あなたに,も一度恋をする

わんこと,お花と,お料理と…そして介護

ご訪問ありがとうございます。

91歳の認知症・母の介護ブログを綴っています。

心温かな訪問介護ヘルパーさん達のおかげで

母の完全自宅介護が実現して1年半。

このまま自宅で最期を迎えられたらと思っていた矢先、

私の乳がん発覚で、自分の治療と

母の介護との両立のなか、

母が旅立ちました。

その記録を詳細に綴ります。

 

**************************************

この記事は以下の記事から連載になっています。

長文ですので、読んでいかれるうちに

お疲れになるかもしれません。

ご興味ある方のみ、読み進めてくださいませ。

 

                                             1話 7話まで

 

(私の乳がん治療副作用のお話も少し…。)

通夜を迎えたこの日、

私の体調は良い状態ではありませんでしたが

初回の抗がん剤の時のような苦しさはなく

普通に立って動ける状態でした。

 

でも、葬儀途中で何度も、

トイレに駆け込む事がないように、

私は数時間おきに医者から処方された、

下痢止めを飲みつつ、

脱水症状にならないようにしていました。

そして抗がん剤の副作用である、

爪のはがれと、皮膚過敏のために

(タオルさえケンザンのように痛い)

両手に黒いニトリルの手袋をはめて

保護していました。
(人から見れば異様な装着ですよね?)

 

また、うつむくと鼻水が、

緩んだ水道の栓から滴り落ちるので、

通夜ご挨拶以外の時間は、

鼻の中に脱脂綿を詰め込んで、

マスクがぐっしょりぬれないように

していました。

しかしその通夜挨拶直前に鼻血が流れてきて

「やばいっ!」

と、かなり焦りました。

 

また、口の中が常にカラカラの状態で、

この乾燥を緩和するために、

口内炎用の軟膏を

1時間おきにぬらねばならず、

その姿も親族に見せたくないなと

思ったものです。

 

一番辛かったのは、食事でした。

水が苦いという味覚障害だけでなく、

私の場合は特異な副作用で、

口内の粘膜がシワシワになる事で、

食べた物がダンボールになります。

ゼリーやヌメヌメしたとろろ蕎麦以外は、

どれもがダンボールを噛んでる食感になり、

食べるという行為そのものが、

これほど苦痛と感じた事は

ありませんでした。

ですから、通夜も告別式の精進揚げも

親族の前でほとんど食事がとれません。

それを悟られないように、

会話をふって、その場をしのいでいました。

 

 

夫と姉夫妻とともに

朝早く向かった通夜のこの日、

一般的なお通夜の手順どおりに

午前10時に湯灌。

湯灌のあとに旅立ちの着物を着せ、

仏衣をのぞく数々の道具をお棺の中に入れて

母は納棺されました。

母が横たわったお棺は、

夫と兄上の手も借りて、

隣接する会場へ運ばれました。

 

葬儀会館の入り口には、

弔問する方を迎えるように

母の遺影が額に入れて置かれていました。

前年の春、公園の桜の下で撮った画像。

『今日撮影するものを

いつか葬儀の時の遺影にしよう。』と

出発前に母に顔そりをし、眉を整え、

化粧を施した事を思い出します。

母は車椅子に乗って、

暖かな春の風を感じながら、  

心地良さそうに

微笑んでいました。

 

 

そしてホールに並べられた花々。

このホールは『花祭壇』として、

一般的な祭壇を設置しません。

故人のお棺の周りを花で囲むのです。

そのため、花の量は一般的な葬儀に比べ、

多くなります。

 

 

真正面に設置されたのモニターには

一昨日私がお渡しした母の生前写真が

スライドショーとして、

もう映し出されていました。

 

 

花の中にあったバラが赤バラだった事もあり、

お願いしていた白と紫のイメージとは

かなり違ってましたが、

季節は11月で花の種類の少ない季節。

白と紫にこだわった遺族のために、

花屋さんも揃えるのも、

大変だっただろうと思いました。

(春先の葬儀の方は、

スィートピーやカーネーション

華やかなお花が揃っています。)

 

その会場に、

母のお棺に入れるもう一着の着物を

葬儀社の方にお願いして飾ってもらいました。

もしあの世というものがあるのなら、

そこで待ってる父ともう一度、

式をあげてと、用意した着物です。

偶然ですが、お花の中のストックの花が

この着物とまったく同じ色でした。

まるでこの着物に合わせて

会場をコーディネイトしたようにも見えました。

 

 

<これは夫の親族が供えてくれたお花。

遠方から葬儀社のLINEを通じて

カードで支払ってくれたお花です。

この一基で3万円と、供え花はかなり高額です。>

 

 

<姉と従妹からも

供え花をしたいという申し出がありましたが、

花葬儀のため、最後はお棺に入りきれないほどの

お花の量になる事を伝え、

これ以上のお花は不要とご遠慮しました。

姉は、だったらお茶のお供えをすると、

頼んでくれたお茶のお供え物です。

<画像向かって右側>

これは2基1組で2万円で、お花より安く、

2つある事でボリュウムも増し、見栄えするものでした。

またこのお茶や、そのとなりの乾物のお供え物は

包装をほどいて解体し、

葬儀の返礼品としてもお分けできるゆえ、

大変ありがたいお供え物でした。

 

 

通夜開始は17時半。

それまで時間はまだまだある。

湯灌を終えて12時を過ぎた頃、

姉夫妻を昼食のために、

いったん外に連れ出して、

食事を取ってもらった後、

会館に戻った私は、

葬儀社との打ち合わせに

かなりの時間を

取られる事になりました。

 

通夜・読経前に司会者が故人を語る、

ナレーション作りのために。

生前の母の情報を紙に書き、

それをもとに葬儀社の方が

文章を構成組み立てし、

再度、私がそれを見て校正する。

そのやり取りが何度かありました。

大事なナレーションの作りに、

葬儀というイベントを活かすのは

私次第?…と思いつつ、

文章が苦手な方でも葬儀社の方が

上手に組み立てくださる。

葬儀社には、色々なスペシャリストが

揃っているのだなと感心したものでした。

 

そして時刻が通夜開始が近づいた、

16時を回る頃から、

到着した親族たち。

よく遠方からかけつけてくださったと

嬉しかったです。

 

父方の叔母には、葬儀前日の電話で

伝える事が出来ていましたが、

私の病を知らない従妹に

自分が乳がんである事を

伝えなくてはなりません。

それは少々つらい事でもありました。

 

でも皆が、『がんばって!』

『大丈夫よ!』

何度も声掛けしてくれた事が、

とても力強かった。

 

そして従妹が

「かつらって、分からなかったよ。」

という言葉が、

なぜか一番嬉しい言葉でした。

 

お寺のご住職が会場入りされた17時。

私は葬儀社の担当者に促されて

ご住職の控室にご挨拶に伺いました。

 

この国で、

もっとも日本の所作が美しい人は誰かと聞かれたら

私はお寺の僧侶と答えると思います。

そんなご住職を前に、ガサツな私が

障子を開け、お座布団を横に移動させ、

手を八の字に指をついてご挨拶。

 

ご住職に、これから葬儀に2日間、

お世話になる事に感謝を申し上げ、

そしてその場で、

四十九日の日程決めをさせて頂きたい事、

自分は今、がんの治療中である事、

今後手術を控えていて、

これから長い治療が始まり、

先の事がわからないゆえに、

出来るだけ急いで、(ご住職の)お寺にある

父の眠る永代供養塔に、母のお骨を

納骨をして頂きたい事をお願いしました。

 

ご住職さんは大変驚かれながら、

「では日程を今、この場で決めましょう。」

と言って頂き、手帳を出され、

「この日はいかがですか?

この日なら大丈夫ですよ。

四十九日よりも早まりますが、

この日であれば、

仏教上の四十九日法要が可能な日です。」

と。

 

そうしてその場で、

納骨を兼ねた四十九日法要の日が決まりました。

そして、ご住職から、

その時に遺族が持参するものを

丁寧にひとつひとつ教えてくださった。

白と黄色の満中陰志饅頭、

墓用の供え花、そしてお供え品。

 

そして、供養塔横にある父の墓石の

石屋さんに支払う石彫の代金や

その他諸々の事項について、

葬儀が終わったあと、

お電話で詳しくご説明頂ける事になりました。

 

ご住職さんは話の終わりに、

 

「娘さん、じっくり治しましょう!

元気になってくださいよ。」

 

と言ってくださり、

力を頂いた気がしました。

心優しいご住職さんでした。

 

そうして、

いよいよ始まった通夜。

この後、母が近年、

もっとお世話になった、

3人の訪問介護士さん達と、

その事務所の所長さんが

会場に入って来られた時、

それまで気丈だった自分なのに、

母の介護生活で過ごした日々が蘇り、

涙があふれて止まらなくなってしまったのでした。

 

 

***************************************

追記

今日も長文におつきあい頂きまして

ありがとうございました。

何かのご参考になれれば幸いです。

記事、もう少し続きます。