母の旅立ち記録-7 愛してくれた人だけを招いて | あなたに,も一度恋をする

あなたに,も一度恋をする

わんこと,お花と,お料理と…そして介護

ご訪問ありがとうございます。

91歳の認知症・母の介護ブログを綴っています。

心温かな訪問介護ヘルパーさん達のおかげで

母の完全自宅介護が実現して1年半。

このまま自宅で最期を迎えられたらと思っていた矢先、

私の乳がん発覚で、自分の治療と

母の介護との両立のなか、

母が旅立ちました。

その記録を詳細に綴ります。

 

**************************************

この記事は以下の記事から連載になっています。

長文ですので、読んでいかれるうちに

お疲れになるかもしれません。

ご興味ある方のみ、読み進めてくださいませ。

 

 

      1話 ~ 6話まで

 

 

 

母の葬儀は、こちらの会館で行いました。

 

 

家族葬の会館としては、かなり大きい

1棟まるごと貸し切りの会館です。

車も30台駐車できますし、

ホールの中も40名は参列できます。

母の場合は現役ではありませんから、

当然、多くの方は集まりません。

でも、通常のこじんまりした会館ではなく、

このホールを選びました。

そして、生前の母に、

このホールを使う事を伝えていました。

 

(ホール案内から画像お借りしました。)

 

この会館がある町は、

父の勤めていた鉄道会社のあった町で、

その社宅に父と母は住んでいました。

父と母の原点となった町の区域の会館です。
(私もこの町に10歳まで住んでいました。)

駅から5分という便利さも魅力です。

 

『家族葬』について、少し…。

家族葬を執り行った方は

ご存知だと思いますが、

葬儀社の方はご遺族の方に、

 

「ご近所さんなどに

知られないようにして下さい。」

と言われます。

その理由として、

 

会場と日時を知られてしまうと、

焼香に来られる方は

少なくない場合が多いのです。

そうなると会場に入りきれず、

たとえ入って頂けたとしても、

通常の葬儀の流れに支障をきたすのです。

あくまで多くて7名から8名程度の

人数を想定して作ったお部屋ですから、」

と。

 

ですから家族葬が決まっても、

参列する身内以外には知らせない

これが家族葬の鉄則と言われています。

(収容人数の多い家族葬会館の場合は別です。)

 

実際、私のご近所さんが亡くなった時、

母を含む多くの方が、

そこにどっと押し寄せました。

祭壇のお部屋と、

それに続く和室のスペースに

参列者が入りきれず、

押し寄せた参列者は、

仕方なく列になって廊下に並び、

読経を起立したまま、

お聞きする状態だったそうです。

殆どお坊さんの姿が見えない状態で、

順に焼香するのも大変だったとか。

「なんだか、すし詰めでね、」

と、帰宅した母が言ってました。

 

叔父の葬儀も同じ部屋を使用。

そこに息子が連絡した叔父側の親族が

押し寄せたため、

合計16名が入った和室には

椅子が足りず、半数以上が正座する事に。

 

その後、お通夜後の振舞いの食事では、

その和室にテーブルを置いて

皆で囲んで食べるのですが、

隣の人の肩と肩とがぶつかる状態。

葬儀社の方が配膳するにも狭くて

大変な状況でした。

そんなでしたから、移動のために

私は立ち上がれず、膝歩きしたせいで、

翌日からじわじわ膝に水が溜まり、

その痛みでかがむ事も出来なくなりました。

治るまで3か月要しました。

 

 

今回の母の葬儀で来てくれるのは、

私の姉夫妻と、

父方の叔母とその息子(私の従妹)

そして母の姪(私の従妹)です。

 

母の兄妹達は

すでに他界していましたから、

参列する親族は少なく、

3組合計5名だけです。

私達夫妻を入れて7名です。

ですので、小さな家族葬の部屋でも

使えない事はないのですが、

私は母とご縁のあった人達を

ホールにお呼びしたかったのです。

いつも大勢で過ごすのが、

大好きだった母でしたから。

そして私は、母を愛してくれた人だけに、

葬儀社の訃報LINEを送っていたのです。

 

私のブログに何度も登場している

叔父叔母の息子夫妻については、

母の訃報のお知らせはしませんでした。

今でも母が生きていると思って

過ごしているのかもしれません。

 

母にとって、

叔父叔母の息子は甥っ子ですが、

その甥っ子は、自分の両親を大切にせず、

時折、おかしな理由をつけて

100万を超える大金を親にせびっていた。

親に関心がなく、

世話をしてるアピールをしていたものの、

実態はまるで違ってた。

そんな甥っ子を、

私の母は愛していなかったし、

甥もまた同様であったと思います。

 

今は空き家になった実家に、

彼とお嫁さんは月2回、

なぜか毎回お嫁さんが

自分の両親を連れてやって来る。

まるで自分達親子の家のように。

そして叔母の家で、

お嫁さんは自分の両親にご飯をふるまい、

お風呂まで入っていかせる。

 

道や玄関先で私と鉢合わせすると、

甥もそのお嫁さんも、

私の母をさも心配してるかのような

美辞麗句を私に言いつつ、

隣に住む母の顔を見に来た事は

ただの一度もありませんでした。

 

そして、叔母の初盆の時も、

一周忌の行事も日時も私に知らせず、

自分の母親の姉である私の母を

招く事なく、

まったく血縁関係のない、

お嫁さんの両親を含めた4人で、

僧侶を呼んで

読経をしてもらっていました。

(ちなみに私の家は隣ですよ?)

 

そんな事から、血族だから、

心が繋がっているというものでもなく、

そんな彼らが

仏教行事から母を排除したように、

私は彼らを、

母の葬儀の参列者から除外しました。

(この経緯は、親族全員が知っています。

 

そして、この大きな会場を選んだのには

別の理由がありました。

葬儀に参列する親族は5名ですが、

全員が遠方からやって来ます。

岡山から2名、静岡から1名、

そして後の2名は大阪府下ですが、

ほぼ京都に近い『枚方』という地域で、

片道電車で2時間はかかります。

皆、宿泊が必要です。

 

同じ葬儀社内の

一般的な家族葬のお部屋にも

幾人か宿泊できますが、

お布団は4組までしか敷けません。

しかも同室内での宿泊です。

 

そんなわけで、

3組5名が各部屋を区切って

ゆっくり泊まってもらうには、

この会館が最適だったのです。

 

この会館は1階が葬儀会場、

そして2階全部が宿泊施設になっています。

部屋は合計4部屋。

1室は2つのシングルベッドが2つある洋室。

もう1室はテーブルが置かれたリビング。

あとの2室の和室は、

ふすまで仕切れるようになっていています。

そこに敷けるお布団は4組まで無料。

5組からは有料です。

 

この会館を使う事で、

ホテルの手配も不要になり、

ご本人達もホテルと会場との行き来を

しなくて済む。

ゆっくり滞在してもらえます。

それがこの施設を選んだ最大の理由でした。

 

<上階へは階段でも

エレベーターのどちらでも上がれます。>

  

 

1階にあるリビングルームに降りて

好きなドリンクを冷蔵庫から出して飲んで頂く事も可能です。

また、通夜から告別式までの夜、

1階ホールの葬儀場で納棺した母のそばで過ごす事も可能です。

 

 

   

 

室内の照明も綺麗でしたし、建具も立派でした。

  

 

バスルームも大きく、

アメニティグッズも充実していました。

すべてホテルライクな清潔感のある豪華な空間でした。

 

  

 

またお部屋の各所においてあった

アーティシャルフラワー達も綺麗でした。

 

   

 

そして迎えた通夜と告別式。

葬儀で参列してくれた親族は、

皆、生前の母の話題が尽きず、

私に病の気遣いの言葉も  

かけ続けてくれました。

待機時間や隙間時間に、

故人と関係ない世間話や話題が

一切飛び交う事がなかった珍しい葬儀。

こんな風に故人を偲び、

終始一貫したおごそかな葬儀は

母方の祖母の葬儀以来の事で、

心がじ~んと熱くなる思いでした。

 

母が愛した人、

そして母を愛してくれた人だけに知らせた訃報。

そして集まってくださった皆様。

心通う『家族葬』に出来たと思えた

2日間でした。

 

***************************************

追記

今日も長文におつきあい頂きまして

ありがとうございました。

何かのご参考になれれば幸いです。

記事、もう少し続きます。