篠山城 その二 | にっくんのブログ

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大書院外観

大書院外観


 大書院は慶長14年(1609年)の篠山城と同じ頃に建てられたものと言われています。その構造は京都の二条城、二の丸御殿の遠侍と似ていると言われ、5万石程度の譜代大名としては過ぎたる規模の書院で、中門が付属するなど古式に乗った書院造りの建物です。約260年にわたり篠山藩の行事が行われて来ました。明治維新後、篠山城は廃城となり、建物のほとんどは取り壊されましたが、大書院だけは残され、小学校や女学校、公会堂として使われました。しかし昭和19年1月6日に残念ながら火災で焼失してしまいました。





大書院古写真

大書院古写真


 その後、大書院の復元の計画が持ち上がり、古絵図、古写真、発掘などの学術調査が行われ、それに基づき設計され、平成12年3月に完成しました。床面積は約740平方メートル、軒高12,88メートル。入母屋屋根は焼失前の本瓦葺きから、築城当時の杮(こけら)葺きに変更されています。 総工費は約12億円かかったそうです。






大書院模型

大書院模型



大書院図

大書院図


 左側に中門が張り出しています。中門とは平安時代の寝殿造りで、釣殿を結ぶ中門廊の名残だと言われています。その右手に唐破風屋根の車寄せがあり、大書院の玄関となっています。

 中門や車寄せがある書院は、江戸城本丸や西の丸の大広間、仙台城本丸大広間に見られます。






二の丸御殿図

二の丸御殿

 

 二の丸御殿は大書院を中心に、西(図では下)に玄関と槍の間、東(上)に小書院。南(右手)に藩主の生活の場である中奥御殿、その下に台所。さらに右手に奥御殿と長局がありました。





大書院平面図
平面図






虎の間

虎の間


 玄関(資料館)から入ってすぐに、広さ36畳の虎の間という大広間があり、いろいろな史料が展示されています。





広縁

広縁


 大書院は八つの部屋からなり、その周囲を幅一間半(京間一間は1.97メートル)の広縁が囲み、さらに外側に一段下がり幅半間の落縁が囲んでいます。






玄関扉

車寄せ扉


 大書院の玄関になります。






葡萄の間屏風

葡萄の間


 玄関を入った正面に葡萄の間があります。葡萄の間には草花小禽図屏風という六曲一双のの屏風が置かれていました。これは青山氏に伝わるもので、江戸時代後期の絵師、狩野養川が描いたものと言われています。




上段の間

上段の間


 上段の間は幅が三間半(約6.9メートル)いっぱいに大床が造られ、床脇の違い棚は横に移され、その横に帳台構があります。
 大床には老松図、床脇の天袋は花卉(かき)図、違い棚に松竹梅雉子図、帳台構に牡丹図が描かれています。

 長押から上は、白壁のままです。






折り上げ格天井

折上格天井


 上段の間の天井は格式の高い折上格天井になっています。






次の間

次の間


 上段の間の一段下の間です。長押の下の壁は板張りとなっています。右手の襖には籬に菊図。中央の衝立は篠山城大書院で使われていた板襖で表に牡丹図、裏に桧に鷹図が描かれ、狩野派の絵師によるものだそうです。




武者隠し

帳台構


 帳台構の裏は小部屋があり、武士が詰め、上段の間の藩主に何かあった場合、飛び出して藩主を守るようになっています。






孔雀の間

孔雀の間

  上段の間の裏にある十五畳ばかりの部屋です。床の間には孔雀の掛け軸が飾られていました。