旧開智学校
松本城の北側に明治初期の擬洋風建築で知られる旧開智学校はあります。
元々は市内中心部、女鳥羽側に面して校舎は建っていましたが、昭和38年に廃校となり昭和39年に現在の地に移築されました。
開智学校は明治6年に廃仏毀釈で廃寺となった全久院を仮校舎に設立されました。そして明治9年(1876年)に擬洋風建築の校舎は完成しました。
棟梁の立石清重は前年の明治8年に二度上京し、開成学校(東京大学の前身)、大蔵省、三井組ハウス、圓井学校、栗原学校を見学。そして山梨県の日川学校、琢美学校のスケッチをしています。
明治6年に着任した山梨県県令の藤村紫朗は、公共建築物に積極的に洋風建築を取り入れ、それらの建物は藤村様式と呼ばれ、山梨県各地にありました。
それらの建築物の特色を開智学校に取り込み建築されました。
開智学校模型
完成した開智学校校舎は木造二階建て、寄棟造り、桟瓦葺き、白漆喰大壁造り、八角塔屋附き、擬洋風建築で広さは517平方メートル。当初は逆L字形に教室棟が付属しており、併せて2653平方メートル、1300人の児童を収容し、費用は当時の金額で11128円24銭8毛(現在の金額で約1億3000万円)かかりました。
塔屋部
寄棟の屋根の上に八角形の塔が載ります。塔は西洋建築の象徴として多くの擬西洋建築に使われました。校舎の前面には車寄せが設けられ、その上がベランダのようになっていますが、外に出ることは出来ませんでした。
和洋折衷の説明
松本の大工棟梁である立石清重が、東京の洋風建築を見よう見まねで設計施工したため、洋風の塔屋やポーチ、軒(コーニス)、ベランダ、天使の彫刻、縦長の窓を設け高価なガラスを多用する一方、龍や瑞雲の彫刻、ベランダの屋根の唐破風など寺社建築に見られるような和様(唐様)が折衷し、独特な建築となっています。
塔屋内部
塔屋の中には登れず、直下に写真が飾られていました。壁は白漆喰の真壁造りで窓には高価なステンドグラスが填められています。天井に鐘が吊り下げられ、授業開始の鐘を鳴らしました。
コーナーストーン
西洋建築によく見られる隅石(コーナーストーン)を黒漆喰で作り出しています。これは立石清重が創意工夫で作り出した様式だそうです。
教室
木製のイスや机で、どこか懐かしい雰囲気です。
一階廊下
洋灯
一階の玄関を入った廊下の洋灯です。吊り元が円形の中に華の彫刻で装飾されています。
階段
講堂
二階の南東側にあります。廊下との仕切りが手すりだけというのが面白いです。
ステンドグラス
講堂の窓の上のアーチ部に填められているステンドグラスです。開智学校では高価な輸入ステンドグラスを多用していたため、別名「ギヤマン学校」と呼ばれていました。