本丸御殿跡
松本城には本丸に本丸御殿、二の丸に二の丸御殿と古山寺御殿の三カ所の御殿がありました。
本丸御殿図
本丸御殿は藩主の私邸と政庁を兼ねた建物で、南側に玄関や対面の間である大広間や書院。北側に藩主の私邸となる御居間、御寝間、御台所などの建物がありました。
建築年代はわかりませんが、享保12年(1727年)に火災で焼失しました。
二の丸御殿
二の丸御殿跡
二の丸御殿は藩の副政庁の役割を担ってきましたが、享保12年に本丸御殿が焼失すると、二の丸御殿に藩主の住居が移り正政庁となりました。南北に長く、南から玄関、広間 、書院などの表向き。その北に御居間、御寝間といった奥向き。その横に御台所が連なり、本丸御殿と同じような構成となり、その北側が年寄り(家老)など藩の重役の詰める政庁の部分にあたりました。部屋数は50、坪数約660坪ありました。
藩主の邸宅を兼ねるとなると手狭なため、一部の政庁が三の丸に移されました。
明治維新後は筑摩県庁舎として使用されましたが、明治9年(1876年)に火災で焼失しました。
二の丸御殿絵図
天守に展示されていた二の丸御殿図
古山寺御殿
松本城の御殿の中で最も古い御殿で、石川数正時代の建築物です。古山寺は古くは箇山寺と書き、数正の法名とも言われています。広さは約180坪と小さく、南側に座敷、坪庭を挟んで北側に台所となり、座敷の南側に数寄屋、西側に風呂屋が設けられた遊興的な建物となっています。
松本市立博物館
古山寺御殿は松本城二の丸南東に位置する松本市立博物館の辺りにありました。
古山寺御殿の遺構
松本市立博物館の内部で、古山寺御殿の遺構が展示されています。
外堀
本丸が石垣で囲まれているのに対し、二の丸や三の丸は土塁になっています。二の丸東側の土塁(二の丸御殿の東側)には土塁上には塀の一部を屏風のようにくぼませた屏風塀となっていました。屏風塀は死角をなくすためのものでした。
外堀を優雅に泳ぐ白鳥
本丸搦め手門
本丸の北側にある裏門です。
足駄塀
内堀と北側の外堀を隔てるために堀の中に築かれた塀で、本丸の西と東の二カ所にありました。堀の中に杭を打ち、その上に土台を置き板塀を築くもので、他城には見られない珍しいものでした。
塀を倒し、浮き橋として使われたこともあったようです。
足駄塀跡
朱色の欄干の橋が架かるところに、かつて足駄塀がありました。
橋を渡ると埋め門に繋がりますが、現在は閉鎖されています。