豊川稲荷大本殿
豊川稲荷は正式には円福山豊川閣妙厳寺という曹洞宗の寺院で、伏見稲荷とともに日本三大稲荷の一つに数えられます。
吒枳尼天(だきにてん)を祀っています。吒枳尼天はインドの女神で、神仏習合で日本の稲荷神と同一とされています。
豊川稲荷は嘉吉2年(1441年)曹洞宗法王派の東海義易により創建されました。戦国時代、三河を治めた駿河の守護大名、今川義元により伽藍が整備されました。その後、徳川家康、織田信長、豊臣秀吉などの有力者の庇護を受け、大岡忠相(南町奉行、大岡越前守、岡崎西大平藩藩主)、渡辺崋山(田原藩家老)など三河ゆかりの人たちの信仰を受けました。
北海道、東京、神奈川、大阪、福岡に別院があります。
大本殿 左右にも向拝があります
昭和5年に造られた大本殿は、総欅造り、妻入り二重屋根三方向拝の構造で、間口19.35メートル、高さ30,6メートル、奥行き38,59メートルの大建築です。
総門
明治17年(1884年)に改築された総欅造り銅板鱗葺きの建物で、門扉は高さ4,5メートル、幅1,8メートル、暑さ15センチの欅の一枚板が使われています。樹齢1000年余りの欅を使用したと言われています。
三門
豊川稲荷で最も古い建築物で、天文年間に今川義元の寄進と伝えられています。正面には11間四方の法堂が建っていましたが現在建て替え中です。
奥の院
文化11年(1814年)建立の本殿の拝殿だったのを、昭和5年の改築で、奥の院として使われることになりました。
最祥殿
昭和4年に完成した建物で、豊川稲荷の中で最大の書院です。内部は400畳敷きの大広間となっています。
三重塔
境内には小振りの三重塔が建っています。
参道
豊川稲荷への参道は商店が並び、門前町の雰囲気が出ています。
三明寺本堂
豊川駅の豊川稲荷と反対の東側に三明寺があります。
大宝2年(702年)に建立されたと伝えられています。平安時代末期に焼失。南北朝時代、後醍醐天皇の皇子無文元遷が遠州の方広寺に向かう途中、立ち寄り、その荒廃ぶりを嘆き再興したと伝えられています。
本殿は正徳2年(1712年)に建立。桁行五間、梁間五間の寄棟造りの建築物です。
三重塔
三重塔は享禄4年(1531年)に建てられた、三明寺で最も古い建築物です。高さは14,5メートルのこけら葺きの塔は三重塔としては小振り(大型のものは25メートルほどです)で、一重、二重は和様で、三重が禅宗様となっています。軒の反りが美しい塔となっており、重要文化財に指定されています。