ガトリング砲
もうずいぶん前に流行ったマカロニウエスタン(40~50年ほど前です)でおなじみの兵器で、元祖機関銃といえる武器です。クリント・イーストウッド主演の荒野の用心棒(1964年)に登場しました。
フランコ・ネロ主演の続荒野の用心棒(66年)で棺桶から取り出して撃ちまくるシーンが印象的ですが、こちらはミトラィユーズというさらに古いタイプの機関銃です。
マカロニウエスタンで流行ったせいか、ジョン・ウエィン主演の正当派西部劇、オレゴン魂(75年)に登場、大女優キャサリン・ヘップバーンが撃ちまくっていました。
ガトリング砲は、アメリカで南北戦争の最中の1862年、医師で発明家のリチャード・ジョーダン・ガトリングによって発明されました。当初は動作不良が多く、信頼性が乏しかったようですが、その後改良が加えられ、1865年モデルでは信頼に耐える機関銃として軍に採用されました。
その仕組みは、ハンドルを回す事で複数束ねた銃身が回転し、機関部の周りに固定された楕円形のレールをカムが通る事でボルト(遊底)が前後に動き、給弾、装填、発射、排莢という動作を行い、銃弾を次々と撃ちます。一分間で200発ほど撃つ事が出来(現在の機関銃が一分間に500発から1000発ほど)、当時としては驚異的なスピードでした。
参考ですが下の図はM61バルカン砲の構造です。モデルによってボルトを動かす方法に違いがあります。
ガトリング砲の仕組み
しかしその後、反動やガス圧を利用してボルトを連続的に動かすホチキス機関銃やマキシム機関銃、ブローニング機関銃が登場すると、大きく機動性に欠けるガトリング砲は次第に消えていきました。
戦後、戦闘機がジェット化すると、1959年に登場したM61バルカン砲として再びガトリング砲が脚光を浴びました。その発射スピードは一分間に6000発と驚異的で、適度に弾丸を散らつかせる事が出来、登場して50年以上経つ現在でも第一線級の兵器となっています。
アメリカの南北戦争(1861~65年)が終わると、使われなくなった武器が武器商人によって大量に日本に入ってきました。その中にガトリング砲が3門(一説には4門)、含まれていました。そのうちの2門を長岡藩の家老、河井継之助がスネル兄弟から1門5000両で購入しました。もう一門は新政府軍の甲鉄艦(ストンウォール号)に搭載されていました。
次々発射される弾丸は、新政府軍に恐怖を与えたと思いますが、多勢に無勢で、たったの2門だけでは、戦線を好転させるには力不足でした。