昭和美術館
11月3日に南山寿荘(なんざんじゅそう)の内部が公開されると言うことで、見てきました。
南山寿荘は、尾張藩の家老を務めていた渡辺規綱によって天保三年(1832年)に建てられた「捻駕籠の席(ねじかごのせき)」と呼ばれる茶室を、昭和十年にこの地に移築したものです。
かつては渡辺氏の別邸のあった今の熱田区尾頭坂の堀川端にありましたが、実業家の後藤幸三氏が譲り受け、自宅のあったこの地に、棟梁、山田弥吉の手により移築されました。
昭和五十二年に後藤幸三氏が亡くなると、氏が所蔵していた八百点余りに及ぶ書画や茶道具などの保存、研究、展示を目的に、翌昭和五十三年に昭和美術館が開設されました。
昭和美術館のある名古屋市昭和区汐見町は、名古屋でも屈指の高級住宅地です。
南山寿荘見取り図
南山寿荘は敷地の中心にある池に向けて傾斜する斜面に建っています。茶席部分は母屋から角度を振って捻れた位置に張り出して配されています。張り出した部分が地面から束柱によって浮かぶように支えられており、それが“御駕籠を捻った”ように見えることから、「捻駕籠の席」と呼ばれるようになりました。
「捻駕籠の席」は四畳中板入り出炉の席となっています。天井は低く、床の間を広く見せるために、床柱を廃するなど意匠に凝らしており、幕末の武家の茶席を知ることの出来る貴重な遺構となっています。
捻駕籠の席〈右側〉
捻駕籠の席
突き当たりが捻駕籠の席の壁です
二階は南の庭に面し大きく開け、外光を取り入れた明るい書院となっています。
渡辺規綱は三河の奥殿藩大給(おぎゅう)松平家出身で、18歳歳下の実弟に、裏千家11代当主で裏千家中興の祖といわれる玄々斎がいます。玄々斎は若いときから規綱の元に寄宿しており、規綱から茶道を学んだといわれます。
規綱はこの茶室を建築する際、玄々斎のアイデアも多分に盛り込まれており、二階書院の欄間の扇は玄々斎好みといわれております。
玄々斎好みの扇の欄間
二階書院床の間
床脇 天袋が斜めに取り付けられています