日吉神社
日吉神社本殿
国友の日吉神社の由来は古く、寛和年間(985年~987年)以前に遡ると言われ、大山咋神 香山戸命 羽山戸命を祀っています。
平安時代、国友郷は比叡山延暦寺の領地となり、日吉上七社の一つである十禅師社を奉祀したことに始まります。以来、皇族や武将たちに崇敬されてきました。
室町時代に北近江の守護となった京極氏の崇敬は特に厚かったと言われます。
境内は静かで、水路が巡らされ清流が流れています。
三間流れ造りの本殿は間口二間、奥行き二間と小ぶりながら、檜皮葺の屋根を持ち、唐破風の門を持ち、鉄砲で栄えた豊かな町にふさわしい、優美な造りとなっています。
三間流れ造り
切り妻屋根の前面の方を、流れるように伸ばしたのが流れ造りです。柱の間が三つあるのから、三間流れ造りと言います。
伊都伎島神社
伊都伎島神社
境内には大神神社 琴平神社 伊都岐島神社の三つの摂末社があります。
このうち伊都伎島神社が鉄砲の神様として、国友の鉄砲鍛冶から崇められてきました。
伊都伎島神社は“いとぎしま”と呼びますが“いつくしま”とも呼び、厳島神社の末社になります。広島の厳島神社の水上に立つ大鳥居の本殿側には、伊都伎島神社と書かれています。
伊都伎島神社の水路
伊都伎島神社は日吉神社の境内の一角に、四方を水路で囲まれた“島”の中で、日吉神社の本殿と向き合う形で建っています。社殿は檜皮葺の小さな社ですが、注目すべきは社の前面から伸びる唐破風の向拝(こうはい)が二間あまりと長く、まるで回廊のように伸びています。このような社は初めて見ました。
伊都伎島神社の向拝
因乗寺
因乗寺
通りから少し奥まったところにある寺です。狭い町の中にあるにしては大きな寺で、境内には城郭の櫓のような太鼓楼があります。
後になって知ったのですが、因乗寺は国友藤兵衛家の菩提寺で、一貫斎の墓があるようです。
因乗寺太鼓楼
司馬遼太郎文学碑
歴史の町らしく、町の至る所に歴史小説の大家、司馬遼太郎の“街道を行く”から引用した文学碑があります。
司馬遼太郎文学碑
司馬遼太郎文学碑