大津市
京都の東に位置する滋賀県の県庁所在地です。東の琵琶湖と西は音羽山などの山々に挟まれた南北に延びる狭い土地にあります。天智天皇はここに大津宮を造営しました。
京都の東の入り口として、そして琵琶湖水運の港町として古くから発展した町で、石山寺や園城寺(三井寺)、延暦寺と言った古刹名刹のある街です。しかしどうしても隣の京都に隠れてしまうために穴場的な存在です。
今回初めて大津市を訪れ、園城寺と隣の円満院、坂本の日吉大社、西教寺を訪れました。
園城寺釈迦堂から見た大津市街地
園城寺(三井寺)
長等(ながら)山の麓に広がる園城寺は、天台宗寺門派の総本山です。天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子、大友与多王によって建立されました。天武天皇により「園城」の勅願を賜り「長等山園城寺」と称しました。別名である三井(みい)寺と言う名は、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井の寺」と呼ばれていたのが「三井」になったと言われています。
平安時代、貞観元年(859年)に智証大師円仁によって再興され、最盛期には850坊を数えたと言われています。しかしその後比叡山延暦寺と対立し、幾度も焼き討ちに遭いました。桃山時代以降、豊臣氏や徳川氏によって再興されました。
古くから続く寺で、数多くの国宝や重要文化財があります。
園城寺金堂
広大な境内にはいくつもの塔頭が並び、寺町の様相を呈しています。中でも檜皮葺の屋根を持つ金堂は正面7間側面7間の大きな木造建造物で、慶長4年(1599年)に豊臣秀吉夫人北の政所によって再建され、国宝に指定されています。内部は内陣には入れませんが、内陣を取り囲む外陣には釈迦如来像や不動明王像など、いくつもの仏像が展示されています。
金堂の左手にある小さな建物が閼伽井屋(あかいや)と言う建物で、天智・天武・持統天皇の産湯に使われた霊泉、御井の井戸があります。建物は慶長五年(1600年)に建てられ、正面上部には日光東照宮の眠り猫で有名な左甚五郎による竜の彫刻が飾られています。また境内には近江八景「三井の晩鐘」で知られる鐘楼があります。
金堂の南西にある一切経蔵は、慶長7年(1602年)長門の大名毛利輝元が山口県の国清寺より移築した室町時代の唐様の建築物で、内部には高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵があります。
三重の塔
一切経蔵の南の唐院は智証大師円仁和尚の廟所になり、智証大師像や黄不動尊立像をまつる大師堂や、寺流の密教を伝承する道場である潅頂堂、三重の塔があります。三重の塔は元々奈良の比蘇寺に有ったものを、徳川家康が慶長6年(1601年)に当寺に移築したもので、室町初期の建築物です。
釈迦堂
仁王門も徳川家康により慶長6年に、甲賀の常楽寺から移築されたもので、宝徳4年(1452年)の建立となっています。仁王門を入った右手にある釈迦堂も室町初期の建築物で、入母屋造り檜皮葺の屋根を持ち、桁行7間梁間4間の建物で、中世寺院の食堂の様式を伝え、元々は御所の清涼殿だったものを移築したものと言われています。
境内の一番南側の高台に建つ観音堂は西国33所観音霊場の14番札所で、本尊の如意輪観音は平安時代の作で、33年ごとに開扉される秘仏です。観音堂は元禄2年(1689年)に再建され、百体堂、鐘楼、観月舞台などが立ち並んでいます。境内からは大津の市街地や琵琶湖を一望にすることができます。
圓満院
圓満院庭園、左側は寝殿
園城寺の北側に位置する三井寺三門跡の一つといわれています。門跡寺院とは皇族出身者によって相承される特定の寺院のことをいい、現在全国に17ヶ寺あります。円満院は平安時代、寛和三年(987年)村上天皇の第三皇子悟圓親王によって創立されました。 寝殿は正保4年(1647年)に京都御所から移築された建物で、入母屋杮葺きの屋根を持ち、檜皮葺唐破風の玄関が付随し、内部は狩野派による人物画、花鳥画などによって飾られています。庭園は室町時代の造園家、相阿弥の作と伝えられる池泉鑑賞式庭園で、細長い池の背景に築山を配し、池には鶴島・亀島が浮かんでいる名園で、国指定の名勝・史跡に指定されています。
寺院内には大津絵美術館が併設されています。大津絵とは340年ほど前から、無名の画家によって描かれた絵で、大津宿の東海道中の旅人に売られた神仏画が始まりと言われています。その後、時代の変遷とともに。ユーモアあふれる風刺画や狂歌を添えた道徳的な図など、、多くの種類が描かれてきました。鬼の念仏や藤娘、雷公、弁慶など十種の絵柄が代表的なもので、多くの色を用いない素朴な絵画です。また館内には圓満院に10年あまり滞在した円山応挙の絵も数多く展示されています。