龍泉寺観音
もう一ヶ月以上前に節分を迎えましたが、今年の恵方は北東でした。
名古屋の場合、名古屋城から見て北東の方向に尾張四観音の一つ、龍泉寺観音があります。松洞山大行院と号する天台宗の寺院で、馬頭観音を本尊としています。
守山区の庄内川の河岸段丘の上に建っています。標高が約七〇メートルあり北(春日井方面)に向けて大きく開け、展望を望むことが出来ます。そのために戦国時代に城が築かれました。本堂の裏手に鉄筋コンクリート造りの三層の模擬天守が建っています。
龍泉寺観音本堂
小牧長久手の戦いの際、豊臣秀吉方の軍が南の小幡城にいた徳川勢に対抗して陣を張りましたが、退却の時に放火し、龍泉寺は灰燼と化しました。その後、慶長3年(1598年)密蔵院の僧侶、秀純によって再興されました。しかし明治39年(1906年)2月に放火され、仁王門、多宝塔、鐘楼を除く全ての建物が焼失しました。
しかし焼け跡から慶長大判二枚と慶長小判九十八枚の入った壺が見つかり、それを元手に再建されました。
大判小判がざくざくと羨ましい話ですが、一両は現在の価値で8万から10万円ぐらいですから、118両は現在の価値で約千万円強ぐらいになります。これを基金に資金を集め堂宇が再建されました。
円空仏三体、中央が馬頭観音
慶長12年(1607年)に再建された仁王門と、木造地蔵菩薩立像が重要文化財に指定されているほか、円空作馬頭観音立像、同じく円空作千体仏といった文化財があります。
龍泉寺城
龍泉寺城模擬天守 資料館になっています
庄内川の河岸段丘の上に建ち、北(春日井)方面の見晴らしがいいこともあり、戦国時代、弘治2年(1556年)織田信長の弟、織田信行により、龍泉寺城が築かれました。信長と信行は同じ土田御前を母とする、血を分けた兄弟でしたが、織田家の内紛により対立します。内紛の原因の一つが春日井の篠木三郷という土地に関する争いでした。
篠木三郷は信長の直轄地でしたが、信行が篠木三郷の横領を企てました。
龍泉寺城はその篠木三郷とは庄内川の対岸の高台にあり、その城跡に立てば、篠木を一望に望むことが出来る好立地にありました。
篠木とはいまのJR中央本線春日井駅の少し北のあたりで、室町時代初期まで、鎌倉の円覚寺の荘園でした。その後、岩倉の織田伊勢守家の領地となり、さらに織田信秀の領地となりました。信秀が亡くなり、この土地の相続をめぐり信長と信行の間で諍いがあり、その対立が稲生の戦いへと連がって行きました。
龍泉寺観音から見た春日井方面
左の大きな煙突が王寺製紙の工場です。
篠木は写真右手の辺りになります。