私は筆職人が居る町に育ったためか、書道教室に興味を持つのも早く、
3歳から毛筆を習いました。ちなみに硬筆を習ったのは小学校に入ってからです。
最初の師匠が双鉤法だったため、今でも鉛筆も人差し指と中指の2本掛け🤌です。
で、私の基本が毛筆楷書なので、どうしても始筆にチカラが入ります。
それを「曲がっているから」と×を沢山されたり、
「木」が跳ねているとか、「幸」の6より7画目が長いから×とか、
「面」の2画目が、5角目ではなく3画目に付いているから×とか、
「衆」の1画目が、4画目でなく2画目に向けて払っているから×とか、
とにかくケチを付けられまくったんです。
私は「昔神童…タダの人」の筆頭のようなタイプの人で、
文字に興味を持つのがとても早くて、
3歳で2年生までの漢字の読み書きが全て出来ていました。
なので、漢字が好きだし自信もあったのですが、
「生意気な奴!」ということだったのでしょうね、
こういう仕打ちを受けて、辛い思いをしました。
今でもこんな採点をするのは何故?
「ナニクソ根性」を期待して、敢えて厳しくしているのでしょうか?
「獅子の子落とし」的な?
自信や意欲を削ぐだけだと思うのですが。
子どもが小学校で漢字を習い始めた時に、驚いた謎ルール。
「習った字しか書いてはいけない。習ってない字は平仮名。読めない子がいるから」
あくまでも「授業で習ったこと」が掟のようです。
例えばですね「雨場風呂九さん」という方が居たと仮定します。
入学時の持ち物には「あめばぶろぐ」と書き、
2年生の初めには「雨ばぶろ九」と書き、
3年生から卒業までは「雨場風ろ九」と書くわけです。
(呂は小学校では習わないので)
作文なども同様で、想像していただければ分かると思いますが、
分かち書きしないと、大変読みにくいです。
まぁ実際には、途中でナァナァになっていくわけですが、
ナァナァ具合がなかなかイメージできないタイプの人間にとって、この宣告は酷。
もう、不安感や焦燥感しかないわけです。
漢字そのものの学習よりも「何年生で習うのか」に意識が集中させられてしまいます。
息子は所謂キラキラネームの子の心配をしていましたね。
例えば、一時期よく話題になった「黄熊(ぷう)」さんがもし居たら、
「2年生で黄を習ったあとはどう書くの?」と心配するんですね。
七夕って二文字で「たなばた」と読むんであって「七ばた」とは書けないよね?
じゃぁたぶん「黄う」とも書けないよね?
なんなら、茂山七五三さんは「七五三」漢字三文字でシメだよ???←狂言好き
もうパニックなわけです。
あ、また話が逸れましたね💦
字形のことはまた次回。