85thメッセージ 学生時代の思い出の相手、追悼記事PartⅢ | 峯運勢研究所

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お訪ね戴き、ありがとうございます。

 アメーバの皆様、いつもお世話になっております。

 

 いつも、“いいね”やフォロー、本当にありがとうございます。

 どれだけ勇気付けられ、励まされているか分かりません。

 心から、ありがたいと思い深く感謝申し上げております。

 

 かねてからの、いいねが出来ない件についてですが、実は、前回お伝えした、ほとんどの方の記事の いいね枠がなく、中には、いいね が付けられる、いいね枠のある方の記事もあり、最新の記事に、いいね枠がなくても、その方の、以前の記事には、いいね枠があることもあり、で行ったり来たりしているうちに、始めは、いいね枠が付いてなかった最新の記事でも、いいね枠が付いて来ることもあるという状態は変わってなく、もはや、ここ迄来ると、アメーバの技術担当の方にお願いしてどうにかなるという問題ではないのではないかと思うに至り、サポートセンターの方に、アカウントの点検をお願いするなどの、パソコンの点検なども行ったのですが、改善が見られませんでした。

購入してから、6年半なのですが、経年劣化で、もう、私個人や、サポートセンターでは解決する程度の問題ではなく、本格的な修理依頼をするか、新しいパソコンに買い替える以外に、改善の見込みがないのではないかと思うに至っております。

 

 83 thメッセージでお伝えした、私の人生最後の総仕上げという一点に的を絞って生きている今の私は、起きている問題の全ては、目的完遂の為に必要なことに気付かされ、足りないことを埋めていく作業をさせられる導きだと思っているところがあり、だとすれば、この件で、ここ迄解決しないということは、これから私がしようと思っていることは、今のパソコンのままではだめだ、新しいパソコンを購入しろという導きだと捉えるべきかとも思っております。

 ただ、新しいパソコンを購入するといっても、資金的なこともあり、今持っているパソコンが、Windows10 ですので、買い替えるとすれば、当然 Windows 11という事になりますが、Windows10と Windows 11は全く違うという事も聞いておりますので、Windows 11にすると、慣れる迄に時間がかかるので、買い替えるとしても、やはり扱いに慣れている、Windows10の方がよいかも知れないと思ったり、セットアップをプロに依頼すると、何日かパソコンを預けなければならなかったりするので、その間パソコンが使えない状態は、私にとっては、とても困る状態なので、今一つ、買い替え実行に踏み切れないでいます。

 いずれにしても、このままという訳にはいかないので、流れを見ながら、導きに従うという事になります。

 そう遠くない将来、新しいパソコンに買い替えることになると思っておりますが、それ迄、これ迄どおり、 “いいね”枠があり、“いいね”が出来る方には、“いいね”をさせて戴くしかないかと思っております。

 本当に申し訳ございません。

 

 の事情ではありますが、とりあえず、私の学生時代の思い出の相手追悼記事PartⅢをお伝えさせて戴きます。

 

 84 thメッセージに続きます。

 私の学生時代の思い出の相手、中本が亡くなったのは、令和5年の2月17日でしたが、私に、その訃報の記事が載っている、皆実高校、全同窓生同窓会の有朋会(以後有朋会)の会報新聞皆實有朋86が届いたのは、令和5年の11月の終りか12月の初めではなかったかと思いますが、彼の死を知り、何とも言えない喪失感と、やり切れない、居た堪れない思いに苛まれる日々が続き、どうしても、彼の追悼記事を書かなければならない、それで、余命宣告された彼の見舞いにも行けず、葬儀にも参列出来なかった私の、現生での永遠の別れのけじめとしよう、それが、娘に私の名を付け、私が集いから消されている45年以上もの間、私の噂をし続け、結婚相手すらも、私に似た女性を選んだ中本と、杉浦にいじめ後遺症にされ、感じる心を破壊されていても尚、学生時代、かすかに胸に響き、45年ぶりに集いに入って、平成23年の定期総会終了後の打ち上げの時、彼が私のテーブルに来て、私と目が合った時、その眼差しが、痛くなるほどの強さで、キューンと体の芯を貫いて響く、生まれて初めての異性に対しての感覚を覚え、神様が私に用意してくれた男性はこの人だったのだという声が、まるで肉声で聞こえたかのごとくの強い想念で湧き、私はこの人と離れてはいけなかったのだ、私が人生を共に過ごし、共に老いていかなければならない人は、この人だったのだと強く感じ、それにしても、その平成23年当時64歳の、この現状で、こんな、異性に対する生まれて初めての感情を私の胸に湧かせ、神は、私にどうしろと言うのか、私に何をさせようとしているのかと、強く思ったことは、今でも鮮明に覚えておりますが、生まれて初めて、この世でたった一人、異性に対する好ましい感覚で胸に響いたのが彼という私の、二人だけの永遠のメモリー、二人だけの葬式としようという思いに駆られ、ブログを見て見ると、令和5年11月に、少し経済的な回復が見られ、インターネットが使えるようになって、すぐにブログをチェックした時には、47万台の順位だったのに、36万台に上がっており、以後、日毎に、10万台ずつ上昇し続けている時があり、日によっては、1日に20万台上昇している時もあり、中本の死が、令和5年 2月11日で、この急上昇が始まったのが、その年の月半ばからでしたので、このタイムラグの意味が分からず、私のブログに何が起きているのかと悩みましたが、このことが、沈黙はこれ迄だと、宇宙が沈黙を破らせるゴングを鳴らしたと感じ、ブログを再開した訳ですが、後になって、毎年、年末には、私や、杉浦を誰も選ばなかった段中の者や、杉浦非道を学友に漏らす恐れがあると杉浦が判断した者には案内状は来ませんが、毎年恒例になっている、同期会がある事を思い出し、その年、令和5年には、私達昭和22年生まれ、皆実高校17期は、数え年で77になるので、喜寿会もあったようで、私が集いに居た4年間は、毎年参加していましたが、私が参加した最後の年の同期会になりますが、平成25年の同期会には、たしか150人くらいの参加者があったと記憶していますが、その参加者の中に、私と杉浦出身校の段原中学校(以後段中)出身の者は、私以外には、一人か二人しかいなく、参加者募集の案内状の名簿は、生前副会長だった中本と常任幹事である杉浦が持っているので、参加者の案内状を出す者は、杉浦と中本が自由に選べる訳で、150人中、段中出身の者が、私を除いて、杉浦に尻尾を振っている一人か二人しかいないというのは、とてつもなく不自然でおかしな状態ですが、参加者も、有朋会員幹部も、この実態にも、何故こんな事になるのかの本当の理由には気付いていませんが、多分、その同期会と喜寿会で、私と中本とのことが話題になり、私がブログで同窓会関係のことを実名公表していることを誰かが言って、それが伝播して、同期の学友達がアクセスしてくれているに違いない、それ以外には考えられないと判断するに至りました。

 そして、冒頭の事情で、私が、いいねのお返しが出来ず、順位が下がり続けても、定期的に、ランクが、10万台から20万台上がっているのは、私のブログを見る迄は、決して知ることのなかった、隠されている真実を知りたくて、その学友達が、定期的にアクセスしてくれているのではないかと思っています。

 

 何故、段中で誰からも選ばれず、翠中の殆どの者が知らない、段中出身の杉浦が、翠中出身の中本の相方の女性幹事となったのか、それ以前に、何故、中本が 、17期の幹事に選ばれたのか、何故、段中で選ばれ続けた私が、皆実高校の表舞台から姿を消し、学友に心を閉ざし続け、シカトの対象にされ続けたのか、何故、段中で男子の学級委員に選ばれ続けていた小谷君が皆実高校では、私と同じように学園社会の表舞台から消え、卒業アルバムの写真に荒れた目付きで写っているのか、何故、毎年行われている同期会や、年に何度も行われている旅行に、その参加者が選ばれたのか、そしてそこに、何故、私が絶対にいなかったのか、その選考基準は何なのか、何故、毎年敢行され続けるご当地出身者ホスト旅行に、杉浦と杉浦非道の実行部隊長の大林がいつも参加し、何故、そこには、中本が絶対に参加していないのか、何故、旅行や同期会に誘われる者は、翠中出身の者が9割以上なのか、きっと、誰からも知らされなかった、知らされようもない真実を知りたいと思ってのことだと思いますが、杉浦が、真相を隠して、絶対に、その真相に気付く心配がない、気付く訳がないと、高を括った、学生時代、私と全く交流のなかった、集いに私がいないことに不審を抱かず、私貶め嘘を鵜呑みにし、私抹殺に抵抗がないと杉浦が踏んだ学友だけを厳選して集めた、いざとなれば、これだけの人数の学友達に支持されていると見せかけ、非道を庇わせる、数の人垣にする為に、その目的を隠して騙して選ばれた、同期会や旅行に誘われ続けた学友達ですが、その、人垣になると思って、同期会や旅行に参加させている学友達に真相を知られることこそが、杉浦にとっては、最も恐ろしいことで、そんなこと、人間技では出来ないと誰もが思えるほどのことですが、人間業ではなく、宇宙と、母校皆実高校の神様と、亡き、母校皆実高校の先輩方の御霊と、中本の死が、私の ブログをして、それを可能にさせたということになります。

 

 二人の愛人達もですが、どんなにうまいやり方をして、バレないように、非道を犯し続けて、何の罪もない者を犠牲にし、他人に行く筈の恵みを取り続けて、権力ある仕切る立場や、甚大な利益を手にいれる事が出来ても、何十年経とうと、犯した非道の罪は、償わない限り、必ず現在迄追いついて来て、償いを迫る訳で、それを、因果応報という人もありますが、それが、バランスをとることで、健全と正常を回復する宇宙の法則の仕組みの現れ方なのです。

 

 私も、平成23年の定期総会の手伝いに参加する迄、誰も私を相手にしなくする為の、ありとあらゆる事をされて、挨拶をしても、そっぽを向かれるようなこともあり、それが辛くて、学友に心を閉ざし、学友と話すことが出来なくされていたので、この時既に、私本来の心は破壊され、いじめ後遺症が発症していたと、今は分かっていますが、学友からの情報が入ってこず、蚊帳の外に置かれ続けていたので、毎年同期会に参加している、約100人前後の翠中出身の者や、そんな同期会がある事すら知らされていない、殆どの段中出身の者と同様、私も、段中で誰からも選ばれなかった杉浦が、中学の頃から仕切る立場でなくては気が済まず、中学2年の一学期迄、自然に学級委員に選ばれ続けた私を誰も選ばなくし切り続けて、仕切る立場で居続ける為の陰の暗躍で、学園社会の自然の縁が歪め、破壊され続けている学園社会の実態と、その実態にする為に、杉浦が、陰で何をし続けていたかの、学園社会で起き続けている異変の何一つ知ることは出来なかった訳ですが、83 thメッセージで簡単にお伝えしていますが、誰からも選ばれなかった杉浦が、仕切る立場でなくては気が済まず、自分が、学級委員選出選挙の候補にも名前が挙がらないので、私さえ学級委員から引きずり下ろせば、自分が学級委員に選ばれる可能性が出て来ると思って、自分の操り人形として、大阪から転校して来た、人懐こくて頭の良い、私に対抗して学級委員に選ばれる可能性があると、杉浦が選んだ、当時の旧姓、大井さんを、男子の学級委員に選ばれ続けていた小谷君と付き合わせて、小谷君を学級委員に選ぶ男子も取り込み、その男子に、女子の学級委員では、大井さんを選ばせるという事を始めて以来、それでも、女子の大半は私を選んでくれていたようで、私は、以後、卒業する迄、二位の会計に選ばれ続け、それでも、杉浦は、段中では、誰からも選ばれませんでしたが、以来、杉浦は、その非道暗躍が、ターゲットにした私や、先生方に知られないようにする為の、ありとあらゆる非道暗躍を続けて、現在の有朋会常任幹事という立場になっているという事になりますが、そんな非道を続けて今の立場を得ている杉浦が最も望むことは、その非道暗躍をしなくて、皆から選ばれ続けて今の立場になれたのだという見せかけを作ることで、非道暗躍の事実は変えられませんので、あくまでも見せかけだけですが、中本が次期会長と目されるようになり、その相方としての副会長の立場になり、会長になった中本から、その次の会長に選ばせる為に、どうしても、杉浦は、その非道暗躍の最後の仕上げともいうべき、誰からも選ばれなかった杉浦が、非道暗躍なしに、自然に皆から選ばれたという見せかけを作り、中学の時に、卒業する迄、自然な状態で選ばれ続けた私が、絶対に集いに参加出来ない状態を作る必要があり、その為には、一旦私を集いに呼び、学生時代、私と交流がなく、私抹殺に抵抗がない学友だけを集めた集いに私を呼び、私が仕切る立場欲しさに、何十年も後から集いに入ったくせに、中本と親しくしていると、何も知らない集いの者を騙し、集いの皆に私を嫌わせ、私の学生時代の思い出の相手の中本に、皆の前で突き放させるという作戦で、卒業後 40年以上も経って、平成23年の定期総会手伝い募集という召集令状のはがきで、私を集いに釣り出した訳で、私を集いに入れさえしなければ、私がいじめ後遺症にされたまま、いじめ後遺症から抜ける事も出来ず、蚊帳の外に置かれたまま、失意のまま、どうなっていたか分かりませんが、杉浦が最後の仕上げと思って、私にとどめを刺す為に入れた集いで、中本の芯にあった私への思いが暴走する、杉浦にとっての想定外のこと起き始め、杉浦が、それ迄秘密にしていた私抹殺非道やその秘術がバレても構わない、とにかく、私を集いから締め出し、中本と絶縁させなければ、杉浦が、中学の頃から、とてつもない非道を続けて得た全てを失ってしまう危険性があるとの恐怖から、なりふり構わない、私を集いから締め出す為の暗躍が始まり、親しいと思って安心していた学友から次々に突き放され続けるという学生時代と同じ状態を突き付けられ、学生時代の時のことがフラッシュバックし、集いにいた時の私は、いじめ後遺症の最悪の精神状態だったと思いますが、私が喪失していた記憶の一つ、中本が運転する自転車の後に乗せて貰って、母校の通学路を走り抜けた事を、大林が私に伝えたことをきっかけに、喪失していた私の学生時代の記憶が甦る訳ですが、それから、集いで、私に異変を察知させる、異様な出来事が相次いで起き続け、というか、人智を超えた、目に見えない不思議な意志の力で、私に異変を察知させる事が起こされ続けることになる訳ですが、バランスを取ることで、健全と正常を回復する宇宙の仕組みが、中本踏み台にして、中本の次の会長になる杉浦のもくろみを砕く為には、中本の命を召し上げるしかないと、宇宙と、母校皆実高校の神様と、亡き母校の先輩方の御霊が判断した事は、私の力ではどうする事も出来なかった事とは言え、慙愧に堪えません。

 

 学生時代から、杉浦が非道を続ける事が出来たのは、真相を隠して集わせている学友達や、有朋会員や有朋会幹部や先生方に、杉浦非道の実体が知られることは絶対にないと、高を括っていたからで、事実、被害当事者の中心人物の私でさえ、何が何か分からないまま、親しいと思って安心していた学友から、次々に突き放され続け、いじめ後遺症にされ、親しくなったと思うことが恐ろしく他者を好きになる、人としての大切な感情を破壊され、学友に心を閉ざし、卒業後も、人を信じる事が出来ず、自己否定し、こんな自分が嫌で、どうすればこんな自分から卒業し、大好きな自分になれるのか、何が分かれば、こんなことをされないのか、こんなことになった真の原因追及と、この苦しみから解放される真の解決を求めることが、恋愛よりも結婚よりも優先課題の人生になって、集いに入る迄の殆どの時間をそれに費やすことになってしまった訳で、まさかその答えが、私の学生時代の思い出の相手の中本以外には、学生時代、交流のなかった学友達しかいない、不思議な集いにあるとは、夢にも思いませんでしたので、杉浦が、そんな高を括って、私を一旦集いに入れ、私と中本を接近させ、その中本に、皆の前で私を突き放させ、真相を隠して集わせていた、杉浦が中本の相方だと知っている他の皆に、私が、仕切る立場欲しさに、中本に異常接近していると吹き込んで、私と親しくしないようにさせる至上命令を、私を意図的に外した旅行に誘ったりした時に吞み込ませ、中本、玉田と立ち上げたカラオケ同好会に誰も参加出来なくすれば、私が居た堪れなくなって、二度と、集いに参加出来なくなると踏んだ作戦は、知能犯の杉浦にしてみれば、当然の上策だった訳で、私が集いにいた平成26年には、杉浦側近の非道実行部隊長の大林の言によれば、その翌年平成27年には、当時の有朋会長だった森田会長が、会長の座を譲ると言っていると言っていたので、その時は、杉浦は、万事思惑通り進んで、二度と、私を集いに参加出来なくさせ、杉浦非道を明かして公にする者は誰もなくなり、中本が会長となり、その相方の副会長になった杉浦が、しばらくして中本に交代を迫り、杉浦が会長になれるのは、時間の問題だと、その時には思っていたと思います。

 事実、もし、大林が言った通りに、当時の森田会長が中本に会長の座を譲っていれば、そうなっていたと思いますが、現実には、平成26年5月の、二木の集いを最後に、杉浦非道を公にし始めた私の動きも功を奏したかと思いますが、そうはならず、平成27年も森田会長続投で、それどころか、令和4年5月の幹事会で、皆実24期の城 一博氏が、有朋会会長として選任され、その時には、中本は、余命宣告された病床にいたという事になり、私が集いにいた頃は、全て思い通りに事が運んでいる、シメシメと、杉浦は、一人ほくそ笑んでいたに違いありません。

 

 杉浦の計算違いは、娘に私の名を付け、私が集いにいない 45年以上もの間、親友達との飲み会では、常に私の噂をし続け、結婚相手迄、に似た女性を選んだという中本の本能が、その当の本人の私も集いに参加し続けていることで暴走し、中本自身の理性で、自分を抑えられなくなり、傍目もはばからず、私を引き寄せる言動し続けたことで、私には、それが、私を自転車の後ろに乗せて母校の通学路を走り抜けた、その思い出直後、それ切りになったことが原因のように思えてならず、私が中本を鎮めなければ、次期会長という立場に障ると思い、彼と二人切りで長時間逢い続ければ、あらぬ噂を立てられることにもなり、まかり間違って、不倫の過ちでも犯すような事になれば、大変なことになると思い、苦肉の策で、彼に、激動で波乱の人生の渦中の私でも、時折、手一つ、握り合っていない、清らかな思い出の相手の彼のことを思い出してはニッコリし、清々しく爽やかな、心が洗われたような気持ちになって、頑張る気力が湧いて来て、彼のことを忘れたことはなかったことや、学生時代の思い出の直後から、それ切りになって以来の私の人生に起きた事、45年以上のブランクの間に、もし、この思い出の後、彼と続いていたら、彼と話していた筈の色々の事や、彼に感じた、何か、人としておかしいと感じる違和感がある事、それでも、集えるようになったことが嬉しいこと、男女の関係にはもうなれないけれど、これからは、集いの中で、素敵な二人になり、皆が楽しく集えるよう、二人で協力し合おうというような事を書いた手紙を渡しました。

 そうしなければ、彼の、あられもない私へのアピールを鎮めることは出来ないと直感したからですが、それを皮切りに、それから気が付く度に、それこそ、中には、A4サイズのコピー用紙に、100ページ以上に、44万文字にも上る分厚い手紙を、集いの度に手渡しで渡すようになり、その手紙への感謝の気持ちを込めた返事の手紙も来るようになった頃、毎月第二木曜日に恒例で行われている集いの二木会の2次会として、吉田拓郎先輩のステージの前座で歌っていた、本当に心に染みる、歌のうまい、中本と一緒に、カラオケ同好会の立ち上げに協力してくれた、私が集いにいる時に、脳動脈瘤で亡くなった玉田がオーナーのスタンドに行くのが、二木会の通常の流れになっていた訳ですが、二木会ではない或る日、夜8時頃だったと思いますが、そのスタンドのママさんから電話があり、中本さんから私を呼び出してくれと頼まれたと言われ、手紙を渡し続けて、アドバイスをしたり、言いたいことを言い続けたていたりしていたので、直接逢って反論したいことがあるのかも知れないと思い、タクシーに乗って、そのスタンドに行ったところ、彼が言ったので、隣に座り、何か言いたいことがあるんじゃないの ? と言ったら、別にと彼が言ったので、私も気が抜けて、しばらく沈黙が続き、彼の方から、それ迄の手紙で伝えていた、私の人生の流れの中での、電話営業で全国トップになった東京に居たのはいつ頃のことかと聞いたので、平成の初めの頃だというと、彼が、官官接待のお役を拝命して、東京にいた頃と時期が重なるとのことで、それを聞いた時には、私が東京にいた時には、彼も東京にいて、同じ東京の空を仰いでいたのだなと、ちょっとした感慨がありましたが、それから、つい、私も、本心聞きたい本音が出て、奥さんはどんな人か、どういう経緯で結婚したのかという事を聞いてしまいました。

そしたら彼は、罠に嵌められて、結婚したと、とんでもない言葉を私に返してきました。

 

 彼の話しだと、彼の現役時代の仕事は、広島の公務員で、局長とつく名の立場迄出世した、同期の中では、出世柱になる訳ですが、当時の上司から、映画のチケットを二枚渡され、女性の名前が何人か連ねてある名簿を渡され、その中に、たまたま、偶然、彼の出身中学の、翠中の時の同級生の女性の名前があったので、その女性に決めて、そのチケットで彼女を誘って映画に行き、それから付き合いが始まったという事で、何故、罠に嵌められたのかというと、後の彼の結婚相手となるその女性が、彼に結婚の決断を迫る為に、父親からお見合いを迫られていると言ったので、自分は馬鹿だから、その罠に嵌って、結婚を申し込まなくてはいけないと思ってまんまとプロポーズさせられたという事でした。

 それを聞いた時、私は愕然とし、彼の心の闇がとてつもなく深い事を知り、聖なる思い出の相手として、卒業後も、心の芯にそっと忍ばせて、忘れたことのない、私の思い出の相手の彼は、自分の子供を産んでくれた、この世でたった一人の大切な女性のことを、他の女性にこんな事を言える、心から女性を愛したことが一度もない人で、心から、女性を大切にするという事を知らない人だという事が分かり、その時は何曲か歌って、彼が支払いを済ませておいてくれたので、その時の支払いは彼に甘えて、二人で外に出て、そのまま、別々のタクシーに乗って帰りましたが、私はその時の彼の心の闇を放置することが出来ず、すぐに次の手紙の作成に取り掛かり、その手紙の中で、罠に嵌められて結婚したという彼の言葉に食い付き、それを聞いてがっかりしたという事、そんな事を私が聞いて、喜ぶとでも思ったのかと腹を立てていること、私はあなたから、君のことも好きだったけど、君よりもっと好きな人と出会えたから結婚したと言われた方が、よっぽど嬉しかったと言い、私との思い出がどうであれ、あなたにとっては、あなたの子供を産んでくれた女性が、あなたにとって一番大切な女性だというような事を言ったと思いますが、後に、杉浦が学生時代に、あの思い出直後、私と彼を続かせない為に、体を張って、彼に取り付き続けて、彼と彼の友人達を、彼の特別の女として支配し続けていた事実を知り、彼との思い出は、高校3年の初夏でしたので、この年頃は、未だ人格形成の途中で、未だ大人としての人格が、ちゃんと固まってはいない筈ですので、彼の人間的な心の豊かさの人格形成は、その時点でストップしたと考えられ、彼が女性を心から愛することが出来なくなった、  彼の心の闇は、そこが元凶だという事も出来ると思いますが、もし、その時に彼のお母様がご存命でいらしたら、きっと、彼の異変に気付かれ、学校に訴え、杉浦に対する何らかの処分を講じられたと思いますが、残念ながら、彼は、小学校の時に母親と死別しており、母親がわりと言っても、叔母さんでは、そこ迄の彼の心に気づかれなかったとしても当然ですし、だから、杉浦は小学校の時に母親と死別している彼を思い通りに操ることが出来たとも言えますが、彼の心の闇の元凶は、杉浦だと言っても過言ではないと思いますが、そして、杉浦に、大林を親友にしてしまわれた中本ですが、その大林の、カラオケ同好会の時の発言の、中本は20年来の家庭内別居だとか、中本は恋愛経験が一度もないという言葉もあり、杉浦が、彼の特別の女として、彼に取りついて、彼の友人達を支配していたのでは、女性は、恐ろしくて、彼に近付くことは出来なかったと思いますので、中本は恋愛経験が一度もないという大林の言葉は信ぴょう性があると思っていますが、それに加えて、どうも、彼の奥さんは、彼に母親がいないことで、言わば、姑がいない訳で、怖いものがなく、彼にとっては義父になる、奥さんの実の父親と一緒になって、彼を抑え付けて馬鹿にしていたような言動を、彼がカラオケ同好会や集いの時に言っていた記憶があり、そういう夫婦関係だから、罠に嵌められて結婚の申し込みをさせられたというような、心の闇を露呈するような事を吐いた訳で、結婚生活が、彼にとって、心から幸せなものであったら、絶対にこんな事を言う訳はなく、それに、前述の官官接待で、女性の饗応もあったという事で、いくらお役所仕事とは言え、中央省庁のお役人に便宜を図って貰う為に、女性の体をおもちゃとして提供する仕事は、いくら女性が納得して高額なお金で承知していると言っても、女性の人生を破壊すると分かり切っている、女性の体の売り買いで、やっていることは、ポン引きと変わらない、人でなしな仕事で、それに、官官接待自体が、本来はあってはならない、この国の政治の闇の部分で、それでも彼は、それが拝命を受けた仕事の役目であれば、それがどんなに自分の魂を汚すダークな仕事でも、組織を守り、仕事を与えた上司を守る為に、妻子を守る為に、そして妻子を守る為の自分の立場を守る為に、自分の好き嫌いは捨てて、いや応なしに応じて、次の役目を拝命する迄、何年か続けて、その役目を果たし切った訳で、だから、局長という名の付く立場迄上りつめることが出来、同期の出世柱と言われる迄になれたとも言えますが、そんな彼の性格は、実の母親と、小学校5年の時に死別し、叔母さんに育てられて、いくら食事や身の回りの世話を不自由なくして貰っていたとしても、実の母親ではないので、時には、訳の分からない反抗したり、言いたいことを言ったり、それでも許されたり甘えたりして育つ生い立ちを持てず、ただじっと耐え忍ぶしかなかったことは容易に想像出来、集いの2次会で、上述の、玉田がオーナーのスタンド行った時などに、自分はどうしても利用される人間だ、それは仕方ないことだと、半ば諦め気味に言っていたことがありますが、集いに入った時から、彼に感じた違和感は、これらの事が原因だったと分かり、もし、あの思い出後、自然の流れで彼と関わり続ける事が出来ていたら、彼はきっと、こんな、訳の分からない人格ではなかったし、罠に嵌められたという結婚も官官接待の仕事もなく、欲も得もない、純粋な心で女性を心から大切に思って愛したことが一度もないという彼になる事はなかったのではないか、もしかしたら、彼は、杉浦を抱かされて、私を学園社会で抹殺し切り続ける為の旗頭としての道具にされた時から、私以外の女性は、誰でも同じで、杉浦に取り付かれて脅し支配されることに甘んじた時から、純粋な、欲も得もなく、互いを大切にし合う恋愛をすることを断念し、心から女性を愛することが出来ない精神状態になったのではないか、私でなくても、失恋しても、結婚出来なくても、ただの一度でも、利用したりされたりしない、ただ、互いを好ましく思い合い、ただ、純粋に相手を大切に思い合うという、自然な縁の本当の恋愛を経験していたら、こんな違和感のある彼にはならなかった、それを阻止し続けて来たのも、杉浦だったという、カウンセリングを伴った占い師としての判断をしており、返す返すも、あの思い出後彼と引き裂かれたことが悔やまれてならず、どうしても、集いにいる間に、私の持てる力の全てをもって、彼の心を、杉浦に取りつかれる前の、少し憂を含んだ爽やかな笑顔で手を振って、私と行きかう度に、必ず挨拶をしてくれた時の、純で優しい、彼本来の心に戻して上げたい、それが出来るのは私しかいないという使命感にも駆られ、更に、分厚い手紙を渡し続けることになる訳ですが、彼は、手紙を渡した次の集いには、私が手紙にしたためた内容を十分に理解した態度や言動を見せてくれ、私は、彼が、手紙に書いた内容をしっかり理解して、ちゃんと実行出来る、人としてのまともな感覚を持っていることを確信出来たので、カウンセリングを伴った占い師としての私の持てる限りの力の全てを注ぎ込んだ手紙を渡し続け、中には、歌について語っているところもあり、彼は小学校の時に、音楽の先生から、オジサンみたいな声だと言われ、音楽の点が2点しか貰えなかったので、自分は、歌が駄目だと思い込まされ、それから、歌に対して苦手意識を植え付けられていたようで、だから、カラオケ同好会で集っている時も、一番だけ歌って、2番目からは誰かにマイクを渡して、最後迄歌わなかったり、森進一の真似でおチャラケたりして、他の皆も、中本は、歌はいつもあんなもんだと、中本の歌に対してバカにしていて、中本も、歌に対しては、皆にそんな風に思われていても平気でしたが、私は、中本の声が素晴らしく、音感もリズム感もドンピシャで、とてつもない声量なのに、歌が下手な訳がない、中本に、歌の苦手意識を植え付けた中本の小学校の時の音楽の先生のしたことは犯罪だと思い、その頃には手渡しし続けていた手紙の中で、私が子供の頃から研究し続けてきた、歌に対する研究成果の全てを注ぎ、まず、曲のキーを自分の声が出し易いキーに合わせること、歌うには、息が必要なので、息つぎのところでは大きく息を吸う事を教え、そして、アナウンス教室で学び、狂うほど研究し続けた成果の、言葉や歌詞の思いを、その言葉や歌詞を使って、遠くの聞き手に分かって貰うつもりで歌え、そして、歌っている時にざわついていても、一切気にせず、絶対に途中で止めたり、おチャラケたりせず、ど真剣に、ど真面目に、堂々と最後迄歌い切れとアドバイスした所、彼は、私のアドバイスを忠実に実行し、カラオケ同好会の時、尾崎紀世彦の又会う日迄を歌った時に、ダムの精密採点で、97点を叩き出し、私が中本に対して歌のアドバイスをして以来、中本は、軽く歌って、余裕で、94点や、95点を普通に叩き出すようになり、後、ロングビブラートが意識して出せて、サビの所で感情を爆発させて、声をマックスで張り出すことが出来るようになれば、同期でトップ歌い手になれるかも知れないと思うところ迄、一気に上達し、集いの者から、中本の歌が劇的に変わった、私が何かしたんだろうと、男女の関係になって特訓したのではないかと疑われたこともありましたが、そうやって、手紙の手渡しをするようになって、私が危惧していた次期会長の立場に障ると思うような、あられもない、私へのアピールは、次第になくなり、私の彼に対する思いを信じる事が出来るようになって安心した為か、それ迄の、ヘラヘラ軽い感じで優しそうだけど、とこか冷たい、リーダーのくせに、風見鶏のように、右や左を見て、責任を取らない、差し障りのない返事をするような、正義感と良心に基づく、自分の判断や自分の言葉を持たない彼ではなくなり、段々強いリーダーシップを発揮出来るようになって来て、次期会長としての風格らしきものも出て来たなと思うようになった頃、杉浦のなりふり構わない、私を集いから締め出す為の、集いの皆に総攻撃の号令をかけた反撃が始まった訳ですが、その頃の私は、未だ、何かがおかしいと感じながらも、杉浦非道の全容に気付いてなく、杉浦が、あの思い出直後、中本に取り付き、中本の特別の女として、中学の時、大井さんが小谷君に取り付き、小谷君を選ぶ男子を支配していたように、中本の学友の大林や山崎を支配していたということなど、全く知りませんでしたし、そのことが私に知られないように細心の注意を払い続けていましたので、その時には、未だ私は、杉浦が、あの思い出直後から、中本に取り付き続けていたことなど、全く知りませんでした。

 

 中本は、上述したように、小学校5年の時に母親を亡くしており、それが、学生時代、中本に直感的に感じた、憂を含んだ、少しはにかんだ爽やかな笑顔が、いじめ後遺症にされた私の心にも、かすかに胸に響いた、憂を含んでいた部分の原因だった訳ですが、きっとその性もあるのだと思いますが、彼は、自分の感情を抑えて、自己主張をせず、出来るだけ、事を荒立てず、周りの状況や、人の顔色を見て言動をし、自分が悪者になって謝ってでも、ことを丸く収めようとするようなところや、理不尽なことでも吞み込んで我慢してして、忍耐する癖が付いているようなところがあり、それが、彼を穏やかに見せていたのだと思いますが、彼は小学唱歌の、故郷の二番の歌詞の、『志を果たして、いつの日にか、帰らん』というところが好きだと言っていましたので、そんな生い立ちなので、いつか志を果たして出世して、そんな生い立ちから脱出したいと思っていたのかも知れませんが、それでも、杉浦や大林のように、他人をけ落として迄、権力の座を得たいと思うような、ガツガツ、権力の座を取りに行く性格の人間ではなく、自然の流れで得た権力の座は、しっかり守り、組織を守る為には、たとえ非情なことでも、冷徹に顔色一つ変えず実行し、その結果においての責任の全てを負い、憎まれても悪者になっても甘んじて受けるという、しっかりした統領の資質を持った人間でもありました。

 

 中本は、彼自身は気付いてなかったかも知れませんが、王者の風格や、穏やかさや品格を醸し出しているところもあり、そんなところが、手段を選ばず、ガツガツと権力に執着する大林や杉浦と違って、同期の学友に好かれていたのだと思いますし、中本がいなければ、杉浦も大林も有朋会幹事になれることは絶対になかったと断言します。

 

 中本は、姓名鑑定で言うと、公務員の出世率の高い、官僚出世運であり、人の上に立つ支配者になれる能力が生まれながらに備わっている、 21という統領運の画数を名前の地格に持っており、それが、権力の座を手に入れる為にはなりふり構わず、ガツガツと権力の座を手に入れようとするくせに、いざとなれば、悪者になる事からも憎まれることからも逃げ、自分が非道を犯したことをなかったことにする為のありとあらゆる画策をし、本当の責任を取るという事をしない、出来ない、そのくせ、権力と権益と、組織の支配者としての恵みだけは欲しい、自己正当化し、憎まれることや悪者になることから逃げ、責任逃れし、いざとなったら、中本のせいにして、中本の後ろに隠れ、中本のレッテルの後ろで、権益だけは求めるけれど、実際には、人や組織を守る意識などなく、中本がいなければ、幹事にも常任幹事にも決してなれなかった大林や杉浦と、同期の学友に好かれていた中本との違いだと思います。

 

 大林は、中本の親友だと言っており、中本もそれに甘んじてはいましたが、そんな穏やかな中本と、杉浦の手先になって、非道の実行部隊長に甘んじている、権力欲むき出しの大林は、本来なら、自然の縁で、中本と親友になれる筈のない人間で、分かり易い言い方方をすれば、大林が段中出身の人間であったら、杉浦が、中本と接近させない為に、中本に、大林の悪口を吹き込むなどして、大林が中本に近づくことが出来なくし、絶対に、中本と親友にさせなかったという事です。

 

 学生時代の、私と中本の思い出後、私と中本を続かせない為に、中本に私貶め嘘を吞み込ませ、女の体を張って中本に取り付くことに成功し、この思い出後、私と中本を続かせないことに成功した杉浦にとって、最も恐ろしいことは、その中本の耳に、私が段中で選ばれ続けた女子であること、そして杉浦が、どんなに仕切る立場でなくては気が済まなくても、学級委員を選出する為の選挙の候補にも名前が挙がらず、誰からも選ばれなかったこと、そして、何もしなくても、学級委員に選ばれ続ける私を誰も選ばなくし、学級委員から引きずり下ろさなければ、杉浦が仕切る立場になる目はなく、女子は誰も杉浦を選ばないと分かっていたので、丁度その時、大阪から転校して来た、何も知らない、人懐こくて頭の良い、当時の旧姓で大井さんに目を付け、自分の操り人形として、大井さんを引きずり込み、転校生でも馬鹿にされたくないと思う、大井さんの心のスキに付け込み、転校生でも学級委員にしてやるという餌で釣ったと思いますが、男子の学級委員に選ばれ続けていた小谷君と付き合わせて、小谷君を学級委員に選ぶ男子も取り込み、その男子に、女子の学級委員では、大井さんを選ばせるという事をして、陰で大井さんと小谷君を操り、私を学級委員から引きずり降ろした事、それでも女子の殆どが私を選んでくれた為に、以後は、投票結果で2位になった私が、卒業迄、会計に選ばれ続け、それでも、杉浦を選ぶ者は、誰もいなかった事などのことが、段中出身の者から、中本の耳に入ったり、他の一般学友の耳に入ったり、それが先生方の所に迄届くことや、中本に吹き込んだ、私貶め嘘が、中本にはバレることで、何としても、それを阻止する為に、私を自転車の後ろに乗せて母校の通学路を走り抜けた中本と私を絶対親しくさせない為に、私貶め嘘を中本に吞み込ませ、高校生の女の体を張った訳で、それで、中本を杉浦の思い通りに出来るようにした杉浦が次にすることは、絶対に段中の者が中本に近付くことが出来なくすることで、その為には、私貶め嘘を中本に信用させる為の、学生当時、既にいじめ後遺症にされて、学友に心を閉ざしていた私ですから、学友の誰とも親交がなかった訳ですが、私と親交がない、翠中出身の中本の取り巻きを作る事で、このやり方は、小谷君と大井さんのことで学習している杉浦ですから、簡単だったと思いますが、そういう杉浦の魂胆と目的とやり方で、翠中出身の大林や山崎が、中本に取り付かされ、中本は杉浦に逆らう事が出来なくされている状態で、連れだって遊ぶことで、計画的に親友にされたと思います。

 

 特に、中本が同期の幹事になり、女性の相方を選べと言われて、杉浦を相方に選んで、杉浦が中本の相方の女性幹事となってからは、大林哲雄と杉浦志都代は、権力欲に執着する考え方一致しているという意味においては、自然に、自動的に引き寄せ合うという事は、姓名鑑定から言っても、名前の、人格の部分の画数が、全く同じ18で、二人は、人間的に同類で、中本を利用して、互いの権力欲を満たすための一蓮托生として、引き合うべくして引き合ったとも言えます。

 

 中本が幹事になったのは、その前の幹事だった、広大の助教授になった、中本以前の同期の出世柱の土井君が、女性問題で裁判沙汰になり、新聞でも取り上げられ、自殺したので、その後釜として、急きょ選ばれた訳で、それには、同窓会事務局に、私や杉浦と同期17期で、中本と同じ翠中出身で、中学時代から続いている清水という者がいるのですが、その清水が、同窓会長に、中本を土井の後釜の幹事として推薦したと思われ、その経緯で、中本の相方の女性幹事として選んだ杉浦を、清水がサポートしなければならなくなり、杉浦と清水は、利害関係が一致し、異常な密着をする仲良しになって、私を学園社会で抹殺し切る強力なコンビになる訳ですが、私から言わせれば、清水も、私貶め嘘を呑み込まされて騙され、中本を土井の後釜の幹事として推薦した、同窓会事務局の清水にとって、私が、同窓会と清水にとって不都合で邪魔な人間だと思い込まされているだけで、中本と同じよう、杉浦に利用されている、本当は、杉浦ほど恐ろしい心を持った人間ではない、元々は、ちゃんとした心を持った人間だと思っていますが、仮にも、同窓会事務局の者なら、杉浦非道に同窓会が汚され、私物化され、同窓会に本来の健全で正常を回復する為に、私がしていることに耳を背けるべきではなかったと思います。

 

 清水は、もっと早く私に協力して、中本と杉浦を決別させて、杉浦を処罰、解任していれば、宇宙の法則に徹底して反し、皆実高校の神様と、皆実高校の、亡き先輩方の御霊の思いに徹底して背き、母校同窓会を、権力欲を満たす為に私物化し、全同窓生も先生方も、やがて同窓生になる現役在校生もPTAも世間も騙し続けて、母校学園社会を、権力欲を満たす非道で汚し続けて、杉浦非道に加担しない段中の者が総会に参加出来なくし、伝統ある皆実高校の誇りと名誉を、世間を騙し続けなければ保てなくした杉浦をここ迄支え続けて、母校学園社会を、こんな巨大なシカトいじめ集団にした、杉浦に、徹底的に利用された中本の命が召し上げられることはなく、清水も、余りにも早過ぎる中本の死を突き付けられることはなく、私がずっと訴え続けていたように、杉浦さえ、もっと早い時期に解任していれば、杉浦解任後、中本が会長になった可能性もあったのですが、とても残念なだけでなく、清水や大林や、杉浦の手先になっている学友達も、杉浦の非道をなかったことに見せかける人垣にされる為に旅行や同期会に参加させられている学友も、杉浦非道に加担していることになるので、その罪の程度に見合う、宇宙と母校の神様と母校の亡き、先輩方の御霊から制裁を受ける可能性があり、本気で心配しています。

 

 45年以上ぶりに入った同窓の集いの常連は、中学の時、私が親しくしていた学友が一人もいない、仕切る立場の仲間になりたいと、杉浦に尻尾を振っている段中の者が一人か二人いましたが、翠中出身の者が9割以上の集いで、それ以外は全て翠中出身の者しかいない、不思議な集いでした。

 その集いの皆に、私が嫌われて、私が集いから消えたという見せかけ上の事実を作る為に、私を集いに入れ、その集いの皆から私を締め出させる為の、私を意図的に外した旅行を、年に何度も敢行したり、私と中本と玉田が立ち上げたカラオケ同好会に、女性は絶対に参加させないよう圧力をかけたり、カラオケ同好会に参加する者をシカトの対象にしたり、最後には、大林から、わしが辞めるから、カラオケ同好会を閉鎖しろと迫らせ、私が、“あなたがカラオケ同好会を辞めるのは自由だが、カラオケ同好会自体を止めるかどうかは、発起人の私が決めることで、あなたに指図を受けるいわれはない”  と言うと、大林は、“ わしが辞める言うとるのに、止めんんか、わしに喧嘩を売っとるんか”と、私を恫喝し、誰が見ても、大林が私に喧嘩を売っているのに、こんなやくざまがいの威嚇を私にし、何が何でも、カラオケ同好会を閉鎖させようと私を追い詰め、カラオケ同好会を閉鎖させることで、私を集いから締め出そうとしたこともありましたが、私を集いから締め出す為の、杉浦が、中本や大林や集いの皆をけしかけて、分かり易いほどの、ありとあらゆることを実行したことで、学生時代のシカトいじめがフラッシュバックし、いじめ後遺症にされて喪失していた学生時代の記憶が甦り、学生時代、私が、親しいと思って安心していた学友から次々に、シカトされ続け、誰からも相手にされなかったのは、この杉浦の陰の非道暗躍があったことに気付くことになる訳ですが、集いに入って、杉浦非道が分り、中本を私シカト旗頭にして、彼の翠中の学友を陰で支配し続けることで、私を、母校皆実高校の学園社会から抹殺し切り続け、彼女がその非道で得た仕切る立場を守り続ける為に、彼女が仕切る立場になる為に邪魔だと思う学友には、私にしたことと同じ事をして、学園社会の自然の縁を破壊し、歪め、汚し続けて、今の立場になっていることが分かり、次期会長と目されていた、中本が会長になれば、会長には、次期会長を選ぶ権限があるので、中本は、すぐ会長を辞めて、次期会長に、杉浦を選ばされることが分かっていたので、私は、何としても阻止しなければならない、そうしなければ、名門母校皆実高校全生徒の同窓会有朋会が、巨大なシカトいじめ集団と化し、仕切る立場でなくては気が済まない彼女の支配力を満たす為に利用され、伝統ある名門母校の素晴らしい同窓会である有朋会は、全同窓生も、やがて同窓生になる現役在校生もPTAも世間も騙し続けて、見せかけだけの、有朋会の芯は、彼女の権力欲の為に利用され、汚されたものになり、清浄で清らかで正しい筈の、伝統ある、名門、母校皆実高校の誇りと名誉は、見せかけだけで、全同窓生も、やがて同窓生になる現役在校生もPTAも世間も偽り続けてしか存在出来なくなるので、私がどうなろうと、どう思われようと、それを阻止する為には、全力を尽くさなければならない、それが、中学の時に学級委員に選ばれ続けた為に、私を学園社会で抹殺し切り続ける為の非道暗躍で、何億何兆以上積んでも買えない価値の、尊い、120年の伝統ある、名門、母校皆実高校の学園社会の自然の縁を破壊し、歪め、汚し続けて、今の立場を得ている杉浦非道を告発して、杉浦が同窓会長になることを阻止することが出来るのはお前しかいないと、宇宙と母校の神様と、今は亡き母校先輩方の御霊が、私を 45年以上ぶりに集いに入れ、その、杉浦の権力欲支配力を満たす為に同窓会を私物化し、彼女の非道を黙認するものか、何も知らずに騙され切っている者しか、総会にも集いにも参加出来なくなっている、彼女の権力欲の為に歪め、汚され切っている学園社会の、異様で歪められた実態を私に見せ、彼女の権力欲のために汚され切った学園社会を浄化させ、伝統ある、名門、母校、皆実高校の学園社会を、本来の、欲も得もない、健全で清浄で、清らかで正しい学園社会への回復へと駆り立てていると確信し、その為の動きを、平成26年5月の二木の集いを最後に、集いから引き、ブログを上げ、その異常な実態を外部に公表することにもなった訳ですが、平成30年の定期総会で、万が一中本が次期会長に推薦される会長交代の儀式が行われれば、杉浦が死ぬ迄、有朋会は、杉浦の権力欲を満たす為に私物化され、杉浦が中二から続けている、汚らわしく、おぞましく、恐ろしい非道の網が同窓会全体にかけられ、巨大なシカトいじめ集団と化した状態が確定し続けることになる訳ですから、それを浄化し、本来の健全で正しく清らかな母校学園社会に回復する為の打つ手がなくなるので、もし、中本か会長になる交代劇がその時にあるなら、参加している全同窓生の前で、その決定に異議ありと、異議申し立ても辞さない覚悟で、平成30年の定期総会に参加したのですが、その前日に、母校校長先生に会う為に母校を訪れ、あいにく、時の隠沢校長は不在で、副校長先生に、持って行った事情説明を隠沢校長にお渡しして戴くよう頼み、翌日の定期総会に臨み、大林の両手を広げた通せんぼうに遭った訳ですが、幸いにも、平成30年の定期総会では、中本が会長に選任されることはなく、森田健司氏の会長続投だったので、決議に異議申し立てをする必要はなかったわけで、その代わり、森田健司氏に会い、総会の疲れが取れた頃に連絡させて戴きたいと、名刺を戴き、総会終了後帰宅し、総会の疲れがとれたと思う頃、森田会長に連絡し、事情説明を送らせて戴く旨を約し、それからしばらく経って、その、3年余り掛かって、完成させた事情説明をしっかり読まれて、森田会長が私のところに連絡して来られ、杉浦非道は、私達17期だけの問題で、有朋会とは関係ない、中本には、次期会長として、片腕として、もう既に会長の仕事もして貰っている、杉浦も中本も立場の落ち度はないと言われ、どんなに説明しても、17期の問題だとして取り合わない事のループでしたので、有朋会の全権限を有する会長であった森田健司氏は、同窓会長としての立場と、杉浦非道を学生時代から続けて成り立っている現体制維持の為に、私の申し出を一蹴し、取り合わなくすれば、そのうちに、私が諦め、泣き寝入りすると踏んで、多分、その電話の時には、中本も杉浦も森田会長のそばにいたのではないかと思っていますが、中本を次期会長として、会長の仕事の肩代わりを、会長の右腕としてさせて、森田会長は、杉浦を解任すれば、中本も失うことになり、体制が崩れると恐れて、それより、私の申し出を握りつぶしさえすれば、いずれ何もなかった事に出来ると踏んで、全同窓生も在校生もPTAも世間も騙す決断をし、私の送った事情説明を読まれて尚、学生時代から汚され続けている学園社会を浄化する意識もなく、在校生も全同窓生も世間も騙し切り続けての現体制維持を選ばれ、私が 3年余りかけて作成した事情説明を取り合う気はないという強い意思表示をされたので、その時に、私は、この人に何を言っても無駄だと思い、後は、ブログと裁判になりますと言い、森田前有朋会長は、冷たく低い声で、はい、分かりました”とおっしゃり、私は、自ら電話を切った訳で、その後も、私は、まだ、母校の恥を公にすることにためらいがあり、同期の2番手に全ての事情説明をし、杉浦が会長になる流れを阻止する為の力添えを望みましたが、森田前会長が私を蹴ったことが分かり、その二番手の彼も、杉浦体制側につきましたので、もはや、母校の学園社会を正常化する、自浄能力はどこにも無いと見極めがついて、ブログに母校の恥をさらす記事を上げることになった訳で、あの時の、森田会長が、私の申し出を真摯にとらえ、キチンと調査して正しい判断をされ、母校同窓会の自然の縁を破壊し母校同窓会を汚し続けている杉浦志都代、一人を解任しておけば、私がブログに母校の恥を曝して上げることはなかったのですが、それから、中本が会長になれば、中本は、すぐ、杉浦に会長の座を譲ることは必定なので、そうならなければよいがと思いながら、母校同窓会の異常な実態をブログに上げ続けながら何年か過ごして来ての、この流れです。

 

 同期会や各地に飛んでいる同期の学友をご当地ホストとしての旅行は、段中で誰からも選ばれなかった杉浦であり、翠中出身の殆どの者が杉浦を知らない訳ですから、段中で誰からも選ばれず、翠中出身の学友の殆どの者が彼女を知らないということでは、そんな杉浦が、17期を代表する女性幹事に選ばれたという事は、とてつもなく不自然で、彼女を知る者も彼女を支持する者も殆どいない状態で同期の代表である幹事というのは格好がつかないので、彼女のことを知らない翠中出身の者達に、中本の幹事の相方として選んだ女性としての杉浦の顔を売る為と、杉浦が中本の相方の特別の女として、翠中出身の者に顔を売り、これだけの人数の者が、杉浦を支持していると、見せかける数の駒にする目的で、そうして、意図的に、私や、段中出身の者を外した旅行や同期会を 10年以上も続けていれば、かなりの数の、杉浦を支持している翠中出身の学友が増える訳で、同窓会長としても、その数だけ見れば、その数の中には、100パーセント近く翠中出身の者で、段中の者が一人か二人しかいないという事は、分りませんから、段中で誰からも選ばれなかった杉浦が、これだけ多くの数の学友に支持されているという見せかけを作ることが出来る訳で、同期会や旅行に誘われる翠中出身の学友は、杉浦非道に不審を抱く事はないと、杉浦が安心出来る学友を厳選しての事で、そこに一般の段中出身の者も、私も、絶対に参加させることはなかったという事で、私と集いにいる時に私を知る者が一人もなく、たった一人その中で私を孤立させて、私が誰からも選ばれない人間だという見せかけを作る為で、その為には、10年以上もかけて、杉浦を支持していると見せかける翠中出身の学友を参加させることが出来る状態になってからで、この計画には、その目的と利害関係が一致する、清水と大林が積極的に関わっており、だから、旅行は、相手替われど主替わらずで、1年に何度も開催されることもあり、そこには、杉浦と清水と大林は必ず居た筈で、その旅行に、中本が一度も参加した事がないのは、中本は、翠中出身の学友に顔を売る必要がないからで、中本は、私は、そういう旅行には参加しないことにしていると、私にハッキリ言っていましたが、私を学園社会で抹殺し切る為の必殺技である、私や段中の者達を意図的に外した旅行には、絶対に参加しないと、心に固く決めていたという事です。

段中で選ばれ続けた私のことを、その旅行に参加した、翠中出身の者に、話す者や、杉浦がその私を学級委員から引きずり降ろす為に何をした事いうことをその参加者に話す者がいれば、杉浦にとっては大変なことになるので、当然その参加者は、絶対にその心配のない者を、杉浦が注意深く厳選して選んでいるという事になります。

 だから、同期会で150名の参加者があっても、杉浦に尻尾を振る、一人か二人しか、段中の者はいないということになります。

二日前から続けており、昨夜からの徹夜状態ですので、今日はここらあたりで失礼させて戴きます。

 

 長文にもかかわらず、最後迄読んで戴き、ありがとうございます。