峯運勢研究所からの 70 thメッセージ  パラダイムシフト | 峯運勢研究所

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健全で建設的で安心な幸せを永続循環させる為の究極の答え

 峯運勢研究所からの 70 thメッセージをお伝えさせて戴きます。

 お訪ね戴き、ありがとうございます。アメーバの皆様、いつもお世話になっております。

 “いいねをして下さった皆様、フォローして下さった皆様、ありがとうございます。皆様にいいね フォローを戴いて、どれだけ勇気付けられ、元気付けられているか分りません。いいね”やフォローをして下さった方々のブログにAccessさせて戴くと、愛、心、自由、誇り、勇気、報恩感謝、本物である事へのこだわりと、本物への飽くなき追求心、探究心、マニュアルでなく、心の芯で感じて動く事、人間らしく、ありのままの自分で、自然体で生きる事などにこだわりを持っておられる事が伺え、共感を覚え、皆様も、きっと、私のメッセージに、そのような共感を持って下さって、いいねやフォローをして下さったのではないかと思い、お目にかかった事もない、日本全国の色んな所におられる皆様ですが、心がつながっている感じがして、とても嬉しく、勇気と元気を戴いています。

 

 そして、フォローして下さった皆様、本当にありがとうございます。身の引き締まる思いで、受け止めさせて戴いております。

 フォローして下さった皆様も、フォローさせて戴いている皆様、私に、これ迄出来なかった、色々な勉強をさせて戴き、心を、熱く、温かく、豊かにして戴き、心の栄養を与えて戴き、本当にありがとうございます。

 拝見させて戴いて、心配で、私の記事が何かの参考になり、お役に立てる事があるかも知れないという気持ちと、その後の成り行きが知りたくて、フォローさせて戴いている方もありますが、フォローして下さった皆様と、フォローさせて戴いている皆様の記事は、心から感謝し、時間の許す限り、有り難く、真剣に拝読させて戴いております。本当にありがとうございます。

 

 私は、平成3年 (1991年)から、今はありませんが、当時あった、駅ビル占い所で、君は占い師になる為に生れて来たような人だと、創立社長から言われて、即決された時から、プロの占い師としての人生が始まり、平成6年 (1994年)に、女性の方の、女性故に抱える苦しみや悩みや問題解決のお手伝いをさせて戴く、女性専用占いサロンを開設し、約30年、御相談者の方の人生の、深刻で重大な問題に関わらせて戴き、御相談者の方の真の幸せの為に、持てる力の限りを尽くさせて戴き、今日に至っております。

 

 私が言う真の幸せとは、ずっと申している事ですが、財力、権力などの、物理的、三次元的欲望を満たすものを得る為に、良心が傷む、自らに恥じるような、魂を汚すような事をしなくても、宇宙から送られた命元々の、生まれたての赤ちゃんの時のような、汚れない、純白の、清らかな魂の高波動のままで、確かで輝く未来を信じる事が出来る希望に燃え、宇宙の法則の仕組みで波動が響き合い、特別の感情を分かち合う、自然の縁で与えられた、両親や家族、自然の縁や絆を大切にしながら、宇宙から、自分だけに与えられた、個人特有の天分や才能を開花させ、心から好きで楽しいと思う事を、誠実に夢中になってするだけで、他人様の役に立ち、報酬が得られ、社会的に認められ、生かされている事を感じながら、生きている喜びに満ち溢れ、次代に命をつなげる為の宇宙の法則の仕組みで、一男一女以上を授かり、イキイキ躍動する、晴れやかな心で、堂々と胸張れる、命輝く、健全で建設的で安心な、我が子や孫、次世代の者達に、親と同じように、宇宙の法則に則った生き方をすれば、間違いのない、本物の幸せになれると信じさせてやれ、本物の幸せになれるお手本を見せてやる事が出来、子供や孫、次世代の者達に、心から尊敬、信頼され、愛する子供や孫達に囲まれながら、幸せのうちに天寿を全うする、真の幸せを永続循環させる、宇宙が、本来、この世に送った人の命全てに平等に与えた幸せで、母が、94歳の天寿を全うする迄、渇望し続け、母が産んだ、父の子供の、私や弟や妹や、孫達に与えたかった幸せでもあります。

 

 そして、その、宇宙がこの世に送った命全てに、誰にも平等に与えている、真の幸せは、父と弟の、二人の心ない、人でなしな愛人達に、父も母も私も弟も妹も、二人の子供達も、弟の本妻も、そして、私達が幸せに生きる為に、宇宙と先祖から与えられた縁と恵みを、私達から奪い続けて欲望を満たしている、その、人でなしな愛人達さえも、本妻家族に行く筈の恵みを取る為の非道故に、決して、手にする事が出来なくされ切っているものでもあります。

 

 私の経歴、仕事の理念、占い方法、連絡先等については、ファーストメッセージで詳しくお伝えしていますが、私は広島の人間で、他の県の皆様には、学校などの固有名詞は、お分りになり難いと思いますので、予め、ご説明させて戴きますと、ここで、皆実高校と言っているのは、私の母校で、広島県五高の、広島県立広島皆実高等学校の事で、段中は、広島市立段原中学校、翠中は、広島市立翠町中学校、基町高校は、広島市立基町高校の事で、有朋会と言っているのは、皆実高校全体の同窓会の名称です。

 

 ずっとお伝えし続けている事は、中二から、仕切る立場でなくては気が済まず、仕切る立場欲しさに、それ迄学級委員に選ばれ続けていた私を誰も選ばなくし切り続ける為の、私貶め嘘の蔓延、色仕掛けも抱かせも、シカトしなければシカトの対象にするシカト苛めの仕組みも脅しもありの、ありとあらゆる事を続けて、私を苛め後遺症にした女子と、父を蒸発させた父の愛人と、その父の愛人と結託して、弟の本妻を弟に暴力的に叩き出させて、弟の本妻の後釜に座っている、それでも、本妻が訴える事が出来なくする為の盾として、弟の本妻の子供を、弟の本妻から、弟に暴力的に奪わせて、押し目迄変えさせられたと、弟と弟の本妻の子供に恩を着せ、本妻が訴える事が出来ないようにする為の目的と魂胆で奪った弟の本妻の子供を、弟の不倫をして、本妻の否応なしに、弟の本妻になる為に、本妻が訴える事が出来なくする盾として、わずか一歳半で産みの母親と引き裂かれ、実の母親に会いたいという事も出来ないように洗脳して育て続けている、元は弟の愛人だった、弟の今の女、二人の愛人達の、本妻の夫に取り付き、抱かせ、本妻の夫に本妻を貶め、宇宙が意味をもって結んだ、自然の縁の夫婦の信頼関係に楔を打ち込み、本妻夫婦を愛し合う事が出来なくさせ、本妻の夫から本妻をぞんざいに扱わせ、突き放させ、本妻に生活費を渡させず、本妻の夫から、本妻に酷い仕打ちをさせ、父親を失いたくなければ、言いなりになれとの暗黙の脅しをかけて、逆らえなくした状態で、本妻の子供に母親を貶めて、本妻の子供から母親を捨て切らせて、母親が愛人を訴える事が出来なくする盾とし、取ったのではない、抱かせて取り付いた男に貰ったのだという事にして、法的罰を逃れながら、他人に行く筈の縁と恵みを取り続けている、刃物で突き刺したり、首を絞めて殺したりしなくても、人生を殺す、殺人に匹敵する、否、殺人よりもっと恐ろしい、残忍非道な、孫子の代迄、破壊の連鎖拡大し続ける、宇宙が決めた自然の縁の配列を崩し続ける故に、三代目迄命が続かなくなる、引いては、国の滅びにつながる、刑事罰に匹敵する重犯罪でも、特別の感情を分かち合う、かけがえのない、他人の夫や子供、他人の親友など、自然の縁の絆の他人の縁者に取り付き、夫や子供、親友など、宇宙の法則の仕組みの波動が合って自然に結ばれた縁者から突き放させ、嫌われたのだから仕方がないという事にして引き裂き続け、貶め嘘を蔓延して、社会的に抹殺し、誰も味方をなくして、本来なら、恵み本来の持ち主に行く筈の恵みを取り続けて、その場限りの欲望を満たし続けるという、世にも恐ろしい、残忍残酷な非道なのに、狡猾なやり方の為に、刑事罰を免れ続けて、他人に行く筈の恵みを取り続けている非道についてです。

 

 コロナの事がきっかけではありますが、確かに、世の中が変わって、パラダイムシフトが起きつつあり、既存の仕事の形態では追い付かなくなっているか、或いは、通用しなくなっている場合もあり、それに伴って、ネットの比重が高くもなっていますが、変革を迫られているのは、実働勤務や対面ワークから、ネットやテレワークなどへの移行の、物理的、表面的な事だけではなく、目に見えない、姿形はなくても、ない訳ではない、心や魂などの、精神性、目に見えない、心のありよう、人として生まれた限り、人が人である事の証明である、人としての、誇りある、高潔な、汚れなき魂がイキイキ躍動し、心が真に喜び、人としての命が輝く生き方への変革が迫られ、表面的、物理的な事より、人間の、内面的、精神的なものの変化の方が、より迫られているというか、既存の仕事の形態では追い付かなくなっているか、或いは通用しなくなっているような、表面的な事の変化は、上述の内面的変化を迫る為のものだと捉えた方が、何の為に、この変革が起き、ここ迄、世の中が変わって来ているのかの、宇宙の意図が分かり易いと思います。

 

 このパラダイムシフトは、これ迄の、陽の分野に重きを置いていた、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを求めて、目に見えない、陰の分野の心や精神的な事を蔑ろにして、嫌な事でも我慢し、精神的に辛くなるような事でも仕方がない、それが仕事というものだと言い聞かせて、人としての心を殺して、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得る為に躍起になり、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力をより多く持ち、より強い権力を持つ支配者になった者が成功者であり、その、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などがより多い成功者が、より幸せな者だと思い、それを得る為に頑張る事が、幸せになる為に頑張る事だと思い、その、陽の分野のそれを得る為に躍起になっていた時代 (それが、西洋占星術でいう所の、土の時代という事かも知れませんが)から、人は、人間は、どんなに、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得ていても、それだけでは、心の豊かさを伴った、魂がイキイキ躍動し、命輝く、心が真に喜ぶ幸せにはなれないのだという事に、人類的に、やっと気付き始め、陽の分野の、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得る為に躍起になっていた時代から、陰の分野の、目に見えない、姿形はないけれど、ない訳ではない、心や魂、精神性に価値の比重を高く置く時代 (それが、西洋占星術で言うところの、風の時代という事かも知れませんが)、に移行していく、パラダイムシフトという事になると思います。

 

 ずっとお伝えしているような、 仕切る立場欲しさに、それ迄学級委員に選ばれ続けていた私が邪魔で、私を学園社会で殺して、仕切る立場で居続ける為の、私貶め嘘の蔓延は言うに及ばず、色仕掛けも抱かせも、シカトしなければ、シカトの対象にするシカト苛めもありの、ありとあらゆる事を、中二から続けている、私を苛め後遺症にした彼女の為に、宇宙から本来授かった縁と恵みと人生を破壊された私も、父を蒸発させた父の愛人の為に、94歳の天寿を全うする迄、夫や子供や孫と引き裂かれ続けた母も、弟の今の女の為に、わずか1歳半の我が子と、否応なしに暴力的に引き裂かれた弟の本妻も、毒嫁に息子や孫と絶縁させられ続けている義両親も、ここ1年以内に起きた孤独死の方々も、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得る為に躍起になった、心ない人間の犠牲者で、ある意味では、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得る為に躍起になった、これ迄の時代の犠牲者という事になると思いますが、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得る為に躍起になり、それを、より多く得れば、より幸せになると勘違いして、手段を選ばず、それを得ようとして、非道に非道を重ねて来た、私を苛め後遺症にした女子や愛人達や独嫁ですが、一時的に、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得ても、心から充実した幸せになれる筈もなく、犠牲にされた者も、精神的、肉体的、経済的、社会的苦しみは、筆舌に尽くし難く、宇宙から本来授かった縁と恵みを奪われ続け、誰一人、上述の真の幸せになれた者はなく、ただただ、破壊の連鎖拡大を続けているだけですが、この事は、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得る為に躍起になり、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為のものを手に入れるだけでは、人間は、上述の真の幸せになれないという事を、如実に物語っています。

 

 私を苛め後遺症にした女子の事も、父の愛人も、父の愛人と結託した、弟の元愛人で、弟の本妻を、弟に暴力的に叩き出させて、弟の本妻の後釜に座っている、弟の今の女の事も、男女平等と核家族を言い訳にして、義両親との関りを避ける為に、夫や子供に義両親の悪口を吹き込み、夫や子供に、血を分けた実の父親や、祖父母を嫌わせ、義両親が命を与え、かけがえのない宝物として育てた夫に義両親を捨てさせ、義両親の息子である夫だけを好き勝手に使い回している独嫁も、結婚出来ない若者が多い事も、結婚しても、男子を授かれず、男子を授かっても、息子が結婚出来なかったり、息子が結婚しても、息子の子供、孫が出来なかったりする事などが多い事も、ここ1年以内に、私の身近に起きた孤独死の事なども、これ迄の、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得る為に躍起になった事が原因で起きた事で、これ迄の、人としての心を殺して、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得る為に躍起になった時代が行き詰まった事を現す、象徴的な事です。

 

 それでも、衣食足りて礼節を知るという言葉もありますので、物質文明の土の時代は、精神文明の風の時代への前段として、必要な時代であったのだという事になりますが、人類は、物質文明の土の時代に、陽の分野の、形ある、人間にとって必要なものの全てと言っていいほどの、ありとあらゆるものを得る事が出来ましたが、人間は、それだけでは、真の幸せにはなれないのだという事を、衣食満ち足りて、知る事になり、本当は、そんな、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得る為に躍起にならなくても、十分、上述の、真の幸せになれるのだという事を、人類は、これから知る事になります。

 

 このパラダイムシフトは、宇宙が、この世に送った命、人類に与えたかった真の幸せを、人類が得る事が出来るようになる為の変革であり、その為の、時代を支配する考え方の変革、物質文明から精神文明への移行、パラダイムシフトという事になると思います。

 

 敗戦後、マッカーサー主導で導入された、これ迄の、天皇陛下の為、お国の為、愛する家族や子々孫々の為に、命も惜しまず戦うという、日本の国の清き明き心や大和魂などの、先祖代々から受け継がれて来た、日本の有史以来の国民的思想が封印される事になった、戦後の教育や、その戦後の教育を元にした、自己責任の伴わない個人の自由や男女平等や核家族を金看板にした政治や法律は、まさに土の時代を象徴する、陽の分野の、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得る為に躍起になる事を教える教育だったとも言え、それが、私を苛め後遺症にした女子や愛人達や独嫁のような人間を増産し、結果的に、結婚出来ない若者が増え、少子化になり、生活保護受給者が増え、国の財政難につながり、物質文明の行き詰まりを表す現象が社会的に起き、物質文明から、精神文明への移行、パラダイムシフトは必然という事で、これも、宇宙は全て承知の、宇宙の深慮遠謀で、一つ一つ、手順を踏んでの移行という事になるかと思います。

 

 私は、宇宙の法則と宇宙の法則の仕組みが分かり、中二から求め続けていた答えの全ての事が分かった今にして思えば、中二から苛め後遺症にされていた事もありますが、物理的、三次元的、物質的欲望を満たす為の、財力、権力などを得る為に躍起になっていた物質文明の土の時代では、ちゃんと生きようとしても、生きられなかったように思います。

 

 苛め後遺症にされて、心の核が破壊され、感じるという事が出来なくされていても、責任感と、仕事の能力は、そこそこあったので、働けば、かなりの収入を得る事が出来ましたが、お金を手に入れても、心から嬉しいと思う事はなく、心から楽しいと思う事もなく、何を食べてもおいしくなく、誰と話していても、心から楽しいと思う事もなく、心から欲しいと思うものもなく、それどころか、生きていたいとさえ思わず、生きていても、何もいい事はない、いつも、いつ死んでもいいと思っていて、心を通わせたいと思う人もなく、ただ、体が死んでないから生きていただけで、それもその筈、宇宙が私に与えてくれる筈の自然の縁と恵みを、私の知らない所で、誰からも選ばれないのに仕切る立場でなくては気が済まない、私を苛め後遺症にした彼女が、仕切る立場でい続ける為に、破壊し続けて奪い続けていた訳で、私が心から納得し、続けたいと思う、自然の縁は、破壊されて奪われ続けていた訳ですから、当然と言えば当然ですが、そんな気持ちで、どこにいても、自分の本当の居場所でないような気がして、どこに行けば、自分の本当の居場所があるのか、どうすれば、自分の本当の居場所が作れるのか、探し続け、そして、どうしても、何をしていても、本来の自分でない気がして、本当の自分を探し続けていて、弟と妹は、生活の安定を得る為に結婚しようともせず、どんなにお金を稼いでも、貯めようともせず、お金に執着もしない私を、大丈夫かいなと思っていたようですが、私の関心は、結婚でもなく、お金でもなく、ただただ、中二からの苦しみと、何故、我が家にだけ、こんな事が起き続けるのかの真の原因と真の解決を求め続けていた訳で、言い換えれば、上述の真の幸せになる為には、どうすればいいか、何が必要か、何が分かればいいのかを求め続けていた訳ですが、色んな事が分かって来た今となってみれば、物質文明の土の時代は、私には合ってなく、この、精神性の価値に比重が高い、風の時代こそが、私にあった時代で、風の時代に入る手前で、中二から求め続けていた真の答えが分かり、更に、風の時代になって、自分が何をしたいか、何をすべきか、心の中を、ハッキリ、キッチリ、アウトプットする事が出来るようになった訳で、私の今迄の試練は、この時代に、本来の自分として、本当に生きる為に、必要な事を得る為だったのではないかという気がしており、この風の時代にさしかかる前に、ブログを始めたのも、ブログを始める前に、集いでの異変があり、中二から、私が、仕切る立場欲しさに、私を苛め後遺症にした女子の為に、学園社会で抹殺され続けていた事実が分かり、その事実が分かった事で、親しいと思って安心していた学友から、次々に突き放され続けた原因が分かり、その為に、学友と親しくなる事を恐れるようになった事を思い出し、最初から、自分がそんな心だったのではなかったと分かる事で、本来の自信が回復し、本来の自分を取り戻し、やっとですが、苛め後遺症から抜け、その事があった為に、ブログを始める事になった訳で、タイミング的に、全ての流れが、あまりにドンピシャで、完全に、完璧に、目に見えない意思の力で、導かれているとしか思えない流れで、今は、全て宇宙の導きだと確信していますが、答えを求め続けている、若い頃の私には、まさか、物質文明の土の時代や、精神文明の風の時代の区別があり、土の時代が約200年前から始まり、風の時代がこれから約200年続くなどという事は、知りもしませんでしたが、約200年前から、約200年後の、約400年の間の過渡期に、こうして、生きているという事も、不思議で奇跡的な事で、ありがたく、そして又、その時代の影響を受けるという事も、不思議で奇跡的で、ありがたい事だと思っています。