ハチヨの七転びハチ起き人生 -7ページ目

【100均】冬のサバイバルにおすすめ

真冬の山形で車中泊をしたとき、凍死するかと思った極寒で助けられた100均の銀シート。

これ↓

 

90×180cmで、ペラペラの薄いやつですが、これを2枚テープでつなげると掛け布団になります。

寝袋の上からこれ1枚ふんわり乗せただけで、コタツに入ったみたいにホワ~ンと暖かいです。

一枚はシーツにすると最強ですが、結露するので時々バサっと空気入れ替え、ふんわりかまくらみたいにかけるのがコツ。

 

車中避難ではカーテン代わりに断熱効果大(窓からの冷気が恐ろしいほどきます)。

ペットのケージにかぶせたり、敷物になったり雨除けとかも用途いろいろ。

 

薄くてからかさばらないし、軽いし、100円だから切ったり貼ったり惜しみなく使えますョグッド!

年寄は火がお好き

能登の地震大火で、原因の一つに「石油ストーブ」があげられている。

北国の冬には必須だが、私はとっくの昔に廃棄した。

理由はただひとつ、危ないからだよ。

 

お湯をわかしたり煮込みの調理にも使えてすごく便利なんだけど、

機密性の高い部屋で換気せずにつけっぱで仕事してたら、気を失ったことあって絶望

死んだとおもった昇天

 

地震と同時に自動消火したとしても、しばらくジクジクと燃えてます。

そこに物が落ちてきたら当然火事になるわな。

 

現在97歳の伯母は、89歳まで住宅密集地の木造アパートで自立していた。

石油ストーブとガスコンロなくして生活は成り立っていなかった。

が、知らない間にボヤを2回起こしていた。

玄関に灯油をこぼして池になってたこともあったポーン

 

伯母の入院をチャンスに、そのふたつを撤去。

IHコンロと、石油ファンヒーター、エアコンも取り付けた。

 

退院してきた時伯母は叫んだ「ひ、火が無いぃぃ叫び

火は危ないからこれからはこれを使ってねと説得したが、その夜電話が来て

「ストーブ返してあせる火を返してぇぇ笑い泣き」と泣かれた。

 

年寄は、火を見て癒される、火が無いと生きていけないかのごとく焦りまくる。

「わかるけど、火事になったらどうするの?」

「走って逃げるから大丈夫ビックリマーク返して真顔」と真顔で答える。

 

その後、サ高住への入居も全部私が進めたので、しばらくは伯母にとって私は敵だったと思う。

 

今では、いたれりつくせりの安全な生活の中で、ときおり私が運ぶおやつの山に、パァァっと頬をピンクにして喜んでくれる。

帰り際「ありがとうね照れ」と言ってくれる。

強制的に火を取り上げ、終の棲家を決めたが、これで良かったと思っている。

 

遠くで暮らす高齢の親を説得するのは大変だと思うけど、『火事メラメラ』だけは避けたいものですね。

 


 

軒並み古民家が…

古民家ブームになって久しいが、リフォームは完璧でも耐震を意識してる人は意外に少ないのではないか。

 

国が耐震基準を強化したのは阪神淡路大震災以降で、それ以前の家屋は、せいぜい震度5くらいだろうか。

今回の能登地震で原型を留めずに潰れたのは、瓦屋根の古民家が目立つ。

 

昔マンションに住んでた時、仙台幸子がバズって商品在庫保管場所が無く、近所で倉庫を探し、空き家となっていた古民家を借りたことがある。

 

戦後建てられた木造1階建てで、当時はお屋敷だったと思わせる雰囲気満点のレトロ感。

しかし筋交いなど入っていないだろう、基礎は石の上に柱がちょこんと乗っかってるだけ、瓦屋根も当時のままらしき、危うさも満点だった。

そんときはまだ、建築設計図面屋を生業としていたので、こいつはヤべェと思ったが住むわけじゃないしな、とりあえず火災保険にだけは入っとこみたいな。

 

マンションとその古民家を撤収した直後に東日本大震災。

古民家は潰れたのだろう、解体され更地になってた。

マンションは大規模修繕を終えたばかりなのに、またやってた。

 

実家は築40年以上の木造だが、軽量鉄骨のブレースが入っているので、震度6でもびくともせず。

生前父は、全ての家具を壁に固定していた耐震ヲタクだったので、倒れたものは何もない。

ただ、中身が飛び出してすんぎょい散乱したけど。

 

今住んでいる家の耐震がどうなっているのか、可能な限り知ってたほうが良いと思う。

持ち家だと設計図が残ってるはずだから(たぶん土地の権利書かなんかと一緒に)一度確認してみては。

ついでに敷地を囲むブロック塀に鉄筋が入っているのかどうかもね。

万が一、通りすがりの子供が下敷きになって死んじゃったなんてことになったら、ゴメンナサイじゃ済まないよね。

 

古民家だと、ある日突然家が潰れてから絶望するよりも、事前にシミュレーションして避難所や仮設に入る覚悟を....

 

能登の壊滅した古い町並みに限らずとも、全国にある古民家や空き家、鉄筋の入っていないブロック塀対策を(今更感あるけど)早急にやるべきと思うけどな。

 

能登地震ひと晩経って

被災地の状況が少しづつわかってきたみたい。

すごいことになってしまいました。

かける言葉もありませんが、津波注意報が解除されただけでも良しとして、まずは健康維持をおいのりします。

 

大地震を経験したことのない人なんて、日本にはいないのではないだろうかと思ってたが、

今の20代くらいまでの若い人たちは、思えば赤ちゃんや子供だったころの記憶で、

実害を実感していないのかもしれない。

 

何度も書いてきたかもだけど、自分でできることを最大限に発揮して、少しでも被災規模を抑えるようにがんばろう。

家具の固定は言うまでもない。タンスの下敷きになって死ぬなんて、今ではほとんど聞かなくなった。

水や非常食の備蓄なんてのは常識です。

 

1,自宅を離れて避難する時は、ブレーカーを落とす(火災予防)

2,戸締りを強化(空き巣予防)

3,ペットの防災グッズを常備(災害時は人間優先)

4,発災直後の自宅内部(一軒家は外部も)の写真を数枚取っておく(罹災証明に必要)

5,保険証書を確認しておく(家財保険が付いていれば地震でもおりる)

6,ガソリンは常に満タンに(緊急車両優先で入手困難)

 

大災害直後は必ず犯罪が多発する。

避難所でも女性子供は注意して。

 

車で避難できる余裕があれば、車内には防災グッズを積んでおくことをおすすめします。

できれば車中泊仕様だと、避難所の駐車場で寝泊まりできるし、プライバシーが守られて良いよ。

家族数名でも代わりばんこに利用してストレス軽減に。

 

東日本大震災の時は、余震がすごくて家の中にいられなかった。

夜はとくにこわいから、近所の人たちも皆さん出て来て、車に避難して夜を明かした。

その時、足を伸ばして寝られたらな~と思って、荷室がフルフラットになる軽バンに乗り換え、

完全車中泊仕様に改造して現在に至る。

 

車って基本揺れるものだから、地震で大揺れしても、建物内の恐怖感では無い。

小さな鉄の箱に守られているという安心感があって、寝れると思う。

 

またたび号内部ニコ一人と一匹仕様もぐもぐカーテン必須。

いざとなったら、母とチャーをヒョイと乗っけて もやもやダッシュリムジン後ろリムジン前

幸先がよろしくない

元日、体調が戻ったので、チャーを乗せて車中泊準備万端のふたたびまたたび号で出発。

まずは松島へ。

超マニアックな神社にお参りしたが、なんでかおみくじが置いてなかったガーン

それよりなにより急におなかが痛くなり、五郎八姫の御霊屋をスルーして車に戻った。

 

少し落ち着いて町内のコンビニに寄り遅い昼ご飯。

三陸道に乗ろうと車を発進したところで、緊急地震速報が鳴った。

ドキっとして、しばらく固まる。

スマホ見ると能登で震度7 ポーン

ゲーーこれはまずいな。

全国揺れとるわ。

どうしよう。

日本海も太平洋ももはや無関係とはいえない日本列島連動災害の予感真顔

 

太平洋を北上しようと思っていたが、中止じゃニヤニヤ

万一日本海があの時の太平洋みたいになったら、なにもかもが緊急車両優先となり、帰れなくなるかもしれん。

 

で、引き返した。

途中夕食買おうとスーパーに寄ったら18時閉店で買えなかった。

3店舗回ったが全滅。

コンビニでおにぎりやらアイスやら買って部屋で地震のニュースに釘付け。

震度7だと余震がひっきりなしに襲ってくるよ。

大変だな、元旦そうそうに。

 

1年のうちで、日本人が一番油断してる日に、なにもこだなに揺れなくてもさびっくりマーク

 

まだまだでかいの来るかもだから、みなさまどうかご安全にお願い

 
日吉山王神社
境内から松島湾が見える
神仏習合の名残で梵鐘がある

 

 

明けました2024

大晦日はチャーを連れて松島瑞巌寺へ、除夜の鐘をひとつ叩かせてもらいお坊さんからありがたいミカンをひとつ頂戴する。

車に戻る途中天鱗院の裏手にある日吉山王神社でお参りしおみくじをひく。

そのまま三陸道に乗って気仙沼の大谷海岸道の駅まで走り仮眠。

翌朝展望デッキから初日の出を撮る。

気が向いたら北上し八戸まで走り、子供時代住んでた地区を散策してみよう。

 

という計画だったが、31日の朝から頭痛がして、昼頃嘔吐、夕方まで寝てた。

夜実家に行ってごはんとお風呂もらい、人生初めてかもしれない母とふたりだけの、なんちゃない大晦日を過ごした。

 

今年もよろしく🌅

 

 

夢の中で三途の川とあの世に行ってみた

コロナが始まったころからスマホでユーチューブをよく見るようになった。

夜は、そのまま寝落ちする。

 

未来から来たとか異世界に行ったとか宇宙人と話したとか、

いろんな人がいて「○○だけどなにか質問ある?」な投稿での、シュールな受け答えがとても面白い。

ウソを言ってるとは思えないほどの説得力に引きずり込まれてしまう。

 

が、こういう話は、だいたい7割がた信じて、あとの3割は自制心を保つのが自分なり。

そうしないと、こいつヤベー奴扱いされて、なにかおかしな宗教にでも入っちゃったかと思われるからね。

ちなみに私は陰謀論者ではないがオカルトは大好物照れ

 

で、私も不思議チャン話をしてみたいと思いますチューリップ赤

睡眠中の夢の中で、三途の川に行ったことあるし、たぶんあの世だろうなと思う町に行ったこともある。

話せばキリが無い。

20代の頃から付けてた夢日記帳が数十冊、断捨離で捨てたけど、最近また書き始めて。

 

記録に残すからいつまでも記憶している無限の世界線ーパラレルワールド

私はモノクロの夢を見たことが無い。オールカラーで原色も鮮やか。

たまにだが、夢の中で「これは夢なんだ」と自覚して(覚醒夢)ストーリーを作りあげることもある。

途中で目を覚まして、続きを見るという、三部構成をやったこともある。

これはすごく楽しかった。

 

三途の川に行った時は、得も言われぬ心地よさで、うっすら白みがかった春のような空気感、

小川がキラキラして小さな花がいっぱい咲いてた。

そこにポツンと立ってたら、白い服着た知らない人(性別年齢不明)が寄ってきて、歩き方を教えてくれた。

気が付くと地面から50センチくらい浮いていて、行きたいと思う方向に、スーッスーッて移動できた。

足先に草や花がかすめる感触もあった。

 

川向うに人が何人かいたけど、小さくてだれだか見えない。

小川だと思ってたが、よく見たら結構な川幅で、渡る自信が無いし必要性も感じられず、

空中浮遊が面白くて遊んでたら目が覚めた。

あとからなんとなく、そこが”三途の川ってこんな感じかな?”と思っただけ。

 

ここあの世かも、と思った夢は、長い坂道を上った先の小さな町で、病院や商店もあってこの世と変わりなかった。

坂から見下ろすと遠くに街が広がっていてビルもあった。

少し煙ってるような、灰色がかった街並みで、ここよりはずっと都会に見えた。

 

坂の町では、空いてる家に自由に住むことが出来た。

平屋の一軒家を選んで入ってみた。

昭和チックなレトロな木造家屋で、小さな庭があった。

ここなら猫飼えそうって思った。

家具などは何も無いが、とくに必要はない気がした。

 

この町にやってきた時から、姿は見えないけど”だれか”がそばでいろいろ教えてくれることに気づく。

どうやらこの町には、自分の親も住んでいるらしかった。

父の家はすぐ近くにあった。(”だれか”が指さして教えてくれた)

母の家もそう遠くないところにあるらしい。

*この夢を見たときは父は存命で母は今も健在

 

会いたい人にはいつでも会えるが、皆それぞれが個別に暮らしていた。

たぶん、家族や友人など小集団の概念が無い世界。

 

散歩してたら、のぼりが立ってる飲食店があって、見た目肉まん?みたいなものが店頭にあって、

美味しそうだなと思いつつも、全く空腹感が無く、スルーした。

 

車も走っているんだが、不思議と人の姿を見なかった。

やることないから下の街に降りてみようと思ったら、車を運転してた。

そういえばここに来るときも車だった。

坂道がきついから歩けないと思ったら、車に乗ってた感じ。

たぶん、欲しいものがパッと現れる世界。

 

あまり長居はしなかったけど、正直退屈だった。

軽く念じるだけで、なんでも思い通りになるような、良く言えば”欲”から解放された世界。

 

だから、刺激が欲しくて下界に広がる街に降りてみたかった。

 

坂の町が天界といわれる所なら、とても平和で理想が叶う暮らしだが、

なんだろな、あたしには退屈すぎてつまらないな。

なにか仕事を与えられるなら居てもいいけどな。

 

上記は覚醒夢ではないので、目覚めてから自分なりの解釈を入れて記録するもの。

 

 

メンヘラかまってちゃんオジ

あたし、優しくした覚えなんてまるでちっとも全然さっぱり少しも無いんだけど、

こういう人になつかれて困ることがある。

 

しかもそれがオジサンだから、ウゼー

 

あ、そーゆー人なのねって感じたら冷たくあしらっているんだけど、

もしかしてひょっとしてそれが逆に良かったりするわけ? キモウゼー

 

人の事言えないけど、、、変なオジサンがまわりに増え続けるきょうこの頃。

 

ふたたびまたたび号納車から2か月、まだ一度もチャー様を乗せていない。

年末年始はふたりでどこかへ逃避行するぞニコ

(年始に身内が集合してワイワイが超苦手な変わり者です。ついでにおせちも苦手、全部が甘ったるいオエー

 

 

 

音楽に"簡単"は無い

先日KBB60の初顔合わせセッションを7名でやった。

半分ジモティ募集、半分私の知り合いで集合。

最初はこんなもんさでワチャワチャしたけど、皆さん(私以外)ブランクあってもやっぱり上手い。

 

何度かやってまとまれば、たぶんすぐにステージいけそうかもしれない。(←なんかもうマネージャー目線笑)

 

ジモティーでメンバー募集してるのだが、変なやつも多い。

応募があって返信しても、何週間経っても返事が来ないひやかしばっか。

既読すらつかないやつとかも。

中には「そんな簡単なギターソロ弾ける人がいないんですかぁ?(笑) まぁ、一度合わせてみますか(笑)」という

オマエ何様だよ的ド失礼なギターやろうもいて、速攻でゴメンナサイしてやったむかっパンチ!

悪いけど元スタジオミュージシャンのギタリストメンバーいるけどね。

 

来る者拒まず、は撤回。

性格悪すぎはブロックじゃ🤬

 

ギターベースドラムをこなすミュージシャン歴40年以上の友達が放った名言。

 

【上手い人は「簡単」という言葉はほぼ言わない】

 

ドラム習って半年だけど、

同じリズムキープするだけでも奥が深くて簡単なことなんてひとつも無いよ。

最初に無料体験で行った時、メトロノームに合わせてポッポッポハトポッポを叩かされて、

ナニコレ楽勝じゃーん♪て思ったけど、スティックを同じ高さで同じ場所に下ろし連打するのってすごい神経使った。

ポッポッポのあと咲いた~咲いた~チューリップの~叩いて、

先生が「うん、いいですね」と言ってくれて、うれしくて、「習いますっ」て始めたわけだけど、

先生はもちろんホレボレするほど滅茶苦茶に上手い人だけど、そういえば先生の口から「簡単」という言葉聞いたことない。

 

とまぁそんなわけで、自分は上手いつもりなのか知らんけど会ったことも無い人を見下すような、

入ってやるよみたいな態度のド失礼ギターやろうにカチーン!ときたので書きました。

 

音楽に限らず、世の中に「簡単」なことなんてそうそうないわバーローDASH!

 

いぶし銀が揃ったKBB60初セッション

 

ウザキモ

度を越して親切(?)な人って、まわりにいません?

そこまでしてくれなくてもみたいな。

 

それが万人に対してじゃなくて、自分にだけかなって感じた瞬間、

気持ち悪くなっちゃって。

 

それが異性だとストーカー疑惑がみるみるわいてきて、キモイオエー

SNSの投稿には数秒後に、間髪入れずに反応してくるし…

 

親しい友人同士のそれとはまた異質な空気といいますか、、、

距離感がおかしい人絶望

 

本人は全く気付いていなくて、ただたんにコミュニケーションとりたいだけなんだろうけど、

うぜー真顔

幸いここはほとんど公表してないから、バレてないと思うけど。

 

出来る限り刺激しないようにしてるけど、どうしても関りのある立場になってしまって、

いまのこのあせるキモイ!あせるが爆発しないように抑えているきょうこのごろ。

 

30年ぶりくらいにスタジオの大音量でギター萌えアップ