この頃は「男の子」と「女の子」の差はほとんどなく、右脳と左脳がバランスのとれた一人の完全な人間として存在していました。
そして、人目を気にすることなく、世界に対する興味と好奇心で何でも行動に移し、探究し、自分の世界を広げてきました。
しかし、大人たちにとっては、そのあまりに大胆な行動は脅威でした。
「この子に何かあってはいけない」という親心とはいえ、
躾や学校教育を通して、親や先生から恐怖を使ってコントロールされるようになったのです。
例「そんなことしたら、怖い人が来て連れてっちゃうわよ!」
その頃から、自分がすること、しないことの動機が
「自分がしたいから、したくないから」ではなく
「こうしないと怒られるから(誉めてもらえるから)、やっておこう」
「こうしたら怒られるから(誉めてもらえるなくなっちゃうから、やめておこう」に反転してしまいます。
そして、人目を気にしたり、人の顔色をうかがって生きるようになってしまったのです。
このことが幼年期からの恐怖症として、私たちを支配し、
自分自身が「今ここで選択」し、楽しむ力を失っていきます。
●第二次成長期(思春期)を迎えると、私たちのの身体は「男性の特徴」と「女性の特徴」がはっきりと分かれてきます。
ここから二極化が生まれます。
そして、「幼年期の恐怖症」が、「思春期の性的役割や性行為にまつわる中毒症」に移行します。
「男(女)だったら、こうあるべき、こうしていさえすれば、仲間外れにされなくて安全だ」
「彼女(彼)を喜ばすことさえができたら、この関係が維持できて安心だ」
となり、「同性の仲間達」や「異性」に受け入れてもらう為の演技に没頭することになっていきます。
そして、マスコミもこれを使って、ファッションや風俗産業などを流行させ、ビジネス化にすることで、「社会全体が性にまつわる中毒症」に陥っています。これは洗脳とも言えます。
そして、自ら意志で選択し、楽しんだり、喜んだり、モチベーションを上げることができなくなってしまうのです。
中毒症とは、「何かに耽(ふけ)ること」
その目的は、その行為に耽ってさえいれば、過去の恐怖症を思い出すことがなく、束の間の今を楽しむことができるからです。
こうして、バーチャルな空想の世界で「できてるつもり」にはなるものの、「今ここ」で本当にやるべきこと、最優先事項を逃し続ける為
現実は何も変わらず、その現実に直面することを避けるため、ますます現実逃避の為にSEXやゲーム、セミナーなどに中毒していくわけです。
こうなると、人と話をしていても、食事をしていても、SEXをしていても、みんな自分ワールドに入ったままで、例え肉体は一緒にいても、心は上の空ですから、一体感を味わうことは難しい。
誰も「今ここ」にいないのですから、誰とも出会っていないのです。
これでは、相手の身体を使ってマスターベーションしているのと変わりません。変に興奮したとしても、本当の意味で自分とパートナーとの「心と体と魂のつながりを感じ、そのエネルギーを交換しながら共に高まり、エクスタシーに至る」というところに行きつく事は難しいことでしょう。
●こうしているうちに、時間は無駄にどんどん過ぎていき、ゲームセット(タイムリミット)が訪れます。
これが「老いること」「死が訪れること」への脅迫観念となって、
「もう時間がないんだから~しなくっちゃ!」と起きてもいない幻想を作ってパニックし老化や病気をつくっていきます。
このことは、釈迦の時代からずっと抱えている「生老病死」の問題そのものではないでしょうか?
私たちは「今を楽しむ」為に生れてきたのではないでしょうか・
もう、過去に生きたり、未来にぶっとんだりするのを終わりにし、
本当に意味ある今を生きたらどうでしょうか?
その為には、セクシャリティの問題に真剣に取り組むことは不可欠です。
個人セッションを通して、肉体の問題、精神の問題、人間関係の問題など、様々なテーマを扱ってきました。
一事が万事とつながっている為、1回のセッションでも、ほとんどの問題は解決します。
ところが、セクシャリティに関しては、「ほとんどの人が隠しておきたい別モノ」と考えている為、セッションの効果がそこまで至らないことがあります。
逆に、セクシャリティの問題から入っていくと、あらゆる問題が同時に解決していきます。
例えば、「SEXで感じた事がない」としたら、相手の手前演技しているケースがほとんどです。
その場合、日常会話でも私生活でも職場でも、常に人目を気にして相手に合わせて演技している為、自分が空っぽに感じ、感覚が麻痺して、自分の肉体とつながっていない感じ…だから、SEXだけでなく、人生そのものでも本当の喜びを感じられていないのではないでしょうか?
《つづく》

