昨日は、チャオンサの公開セッションでした。
第2回目は、「第2チャクラ、テーマはセクシャリティの解放」でした。
心と身体の統合をテーマにセッションをしていると、 どうしても外せないのがセクシャリティの問題です。
セクシャリティの問題を「隠さなければならない恥ずかしいもの」と捉えたり、興味本位で捉えたりするのは、人類の共通する知覚錯誤といえます。
そのことは、スリーインワン・キネシオロジーがこの問題が現れた時に提示する情報を読めば理解いただけることと思います。
以下、スリーインワンのテキストからの引用です。
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●苦痛に伴う態度 段階6
「活発な性生活 あるいは性的役割から身を引く」
肉体的痛み:慢性疾患をもつ人にとって、セックスは痛みそのものではなくても、不快なものになります。
それでも多くの場合、関係を危うくしないために、性交渉を続けます。
もっと正確には、セックスを演じ(普通オーガズムを感じるふりをし)ますが、最後にはその行為があまりにも苦痛になります。
このことから、マゾヒステッィク あるいはサド・マゾヒスティックな感情が生まれやすく、どうしても苦しんでいない相手は敵に見えてしまいます。
人生の痛み:「活発な性生活あるいは性的役割から周期的に身を引きます」
どちらかがセックスや性的役割を武器として使った来たような深い関係では、特にこういったことが起こります。
「活発な性的役割から身を引く」とは、問題になっている関係にいると、「女性らしい」または「男性らしい」感覚を失うという事です。
自分は「女性以下」「男性以下」の存在になってしまうのです。
あるいは、もっと正確には、条件づけによる信じ込みが教える「理想の女性像」「理想の男性像」には、はるかに及ばない存在になってしまうのです。
性的役割につながるトラウマがあると、もう二度と「女性としての自分」「男性としての自分」が十分だと感じとることはないので、疑うようになります。
このような疑問はトラウマを解放するまで残り続けます。
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●セクシャリティ (選ぶ/選べない)
性、性的役割に対する期待(男[女]は、夫[妻]は、父親[母親]はこうあるべき)
そして性の行為そのものが、ここでは問題になっています。
こういったことに関しては、少しも選べないと感じるので、欲求不満がつのります。
大抵の場合、この問題や性の行為そのものは、愛情よりも怒りを生み出すのです。
このセクシャリティ、性的な必要、そして期待された性的役割を演じることに投資している感情的チャージは、どれほどのものでしょうか?
ひょっとして、問題全体に対して基本的に間違った受け取り方をしているから、これほど苦しむのでは、ないでしょうか?
こういったものに傾けているだけの時間とエネルギーに本当に見合うものでしょうか?
もしその問題に対して、その行為に対して、そして今やっている役割に対して、対応の仕方を選ぶことができるとすれば、どうでしょう?
そうなれば、違った行動をするでしょうか? どのように?
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いかがでしょうか?
性にまつわる問題は、古来から人類が抱え続けている本質的テーマです。
《つづく》
