初めての方は「人生を変える旅路①」からお読みください。
http://ameblo.jp/mindupdate/entry-11151657404.html
前々回の日記で、49歳の誕生日を迎え
「棺おけリスト(邦題:最高の人生の見つけ方)」を見たことを書きました。
「棺おけリスト」とは、「これだけはやっておかないと死ねない!」ということを書きだしたリストのことです。
その映画を見て以来
私は、「大事なことなのに、ずっと先延ばしにしていることがある」ということを思い出しながらも3週間が経ち、次第に居ても立ってもいられなくなりました。
そして、昨日新幹線に飛び乗って浜松に行き、15歳の時に別れたままの二番目の母の居所を突き止めるため、子供の頃に連れて行かれた覚えのある母の実家を訪ねてみたのです。
実は、私の実母は私が2歳の時に亡くなり、5歳の時に二番目の母が来ました。
とてもよくしてくれたものの、とても厳しい母で、よく反抗もしました。
その度に「よその子を育ててあげているんだから、感謝しなさい」と言われてきました。
15歳の時に、母から
「私には、実の子がいて、その子が、『お母さんがそんなに苦労しているなら、僕と一緒に住もうよ』と言ってくれているの」
と告げられました。
私は、その時、初めて「よその子」と言われてきた意味がわかりました。
(また、自分が本当の子供でないこと、つまり偽物である私が、どうしたら本物になれるのか…というのがそれ以降の私を突き動かす動機になっていたようです)
その子の方は、死んだといわれてきた母親が実は生きていると知らされ、「どうしても一緒に暮らしたい」と思ったようです。
私は、その子に対しても母に対しても、一番大切な時期を私達兄弟の方が母を独占してしまったことに対して申し訳ないことをしたと思いました。
私が本当に伝えたかった言葉は、
「お母さん、今までありがとうございました。いろいろ反抗もしたけれど、ここまで育ててくれたことに感謝しています。どうぞ、本当のお子さんの方に行ってあげて下さい」
というものでした。
しかし、実際に口から出てきた言葉は
「出ていきたいなら、いつでも出ていけばいいじゃないか!その方がこっちもせいせいするわ!」という悪態でした。
母は、その一週間位後の父が不在の夜、私達兄弟が眠っている間に、別れも告げずに黙って消えたままになっていました。
あれから34年間、ことある毎に思い出し、
「なんとか所在を突き止めて、お詫びとお礼をしなければ」
と思いながらも、あてもないまま先延ばしになっていました。
「棺おけリスト(最高の人生の見つけ方)」を見て以来、
「このまま、もし母が死んでいて、本当の思いを伝えられないままになってしまったら一生後悔することになるだろう…」と思ったら、居ても立ってもいられなくなりました。
そして、意を決して、昨日子供の頃に連れて行かれた浜松の母の実家を訪ねていき、居場所を突き止めたというわけです。
母は今、愛知県小牧市に住んでいて75歳で存命ということでした。
電話番号を教えてもらい、恐る恐るかけてみました。
「田中と申しますが、○○さんはご在宅ですか?」
すると、とても若々しいのですが、明らかに警戒した声で
「どなた様ですか?」と返ってきました。
声が若いので「お嫁さんかな」と思い、
「もしかして75歳の○○さんですか?」と尋ねたところ、ますます訝しげに「そうですが…」との返事、間違いなく本人のようです。
せっかく繋がったのに、危うく「オレオレ詐欺」と間違われて切られそうになりながらも、慌てて
「子供の頃育ててもらった田中信二です」
と早口で名乗ったところ、「ああ…」という言葉と共に、思い出してもらえました。
「ああ、やっとつながった!」と思ったら、いきなり涙が溢れてきました。
そして、長年伝えられないできた、本当の思いを伝えるうちに、とめどなく感情が湧きあがってきて、自分の中にこんなにも蓋をしたままの感情があったのかと驚きました。
そして、母の方からも
「あの頃は、こうしている間にも、自分の子には不幸な思いをさせているのかと思うと、ついつい憎くなってね…。
あなた達には随分辛い思いをさせてしまってごめんなさいね。
黙って出ていってしまったので、ずっと後ろめたい気持ちがあったのよ。本当にごめんなさいね。幸せになって下さいね」
と伝えられました。
私の中の長年つかえていたものが外れました。
二番目の母との和解ができ、残るは三番目の母との関係です。
三番目の母は、中学を卒業したら家を出ていくつもりだった私に、
「私は、50歳のこの歳まで結婚せずに来たからこそ、今さら子供も生めないし、このまま寂しい老後を送るより、子供のいる人と結婚しようと決めたの。だからお父さんよりもあなた達を見て結婚を決めたのよ。出ていくなんて言わないで一緒に暮らしましょう」
と言ってくれた人です。
私はその時、自分が必要とされた存在であることを感じることができました。
私の姉は中学を卒業し、親の援助を一切受けずに看護師の見習いをしながら定時制高校に通い、大学に進学し、看護師として自立していきました。
兄もアルバイトをしながら高校の学費を作っていました。
私は、三番目の母のお陰で三人兄弟の中で唯一苦労せず、高校に行かせてもらいました。
その三年間は、私のそれまでの人生の中で最も平安で、家族の温もりを味わうことができた時代でした。
そのことは、姉や兄に対しては、申し訳ないような気持ちもありました。
そして、「その三年間が私にとってどれほど貴重な時間であったのか」を改めて母に伝え、お礼を言うことができました。
心に引っ掛かっていたことに決着がつけられ、心が晴れ晴れとしてくると、私が本当に求めていたものが明確になってきました。
それは、言いたいことが何でも言え、心から気持ちを分かち合える本当の家族のような関係でした。
その為に私は、今までも沢山の事を学んで来ました。
しかし、セラピストとして、他人の問題に関わったり、自分自身の問題をバーチャルなイメージの世界だけで解決した気になって、肝心なことを実行に移すことを避けてきていたのです。
だからこそ、いい所まできたとしても途中で挫折し、また振り出しに戻って一からやり直すパターンを繰り返していたのでした。
これからは、いつでも悔いが残らないよう、思っていることは言葉にし、言葉にしたことは行動に移していくことを決めました
今日、東京へ帰ってきて直行した講演会で、
「どんなことにも感謝をしていると宇宙銀行に貯金されていきます。そして、忘れた頃にいっぱい利息がついて降りてくるんですよ。
それから、『感謝』の反対語はなんだと思いますか?
それは『当たり前』と思うことなのですね。」
と素敵な女性講師から学びました。
すると、一緒に参加していたHさんが、
「そうだよね。『ありがたい』とは『有難い』ことであり、『当たり前』ではないことだものね。」と関心していました。
たくさんの出会いがあり、別れがあります。
この地球上には、67億の人が住んでいるといいます。
しかし、同じ時代に同じ場所に巡りあわせ、同じ時を過ごせるのは、天文学的な確率で、まさしく「有難い」ことなのですね。
その時は意見が合わずに誤解したり、喧嘩別れすることもあったとしても、一緒に関わる時が持てたそのご縁に感謝していきたいと思います。
また、ひょんなことから、この長文の日記を読んで下さっているあなたにも心から感謝します。ありがとうございます。
よろしければ、コメントなど頂けたら嬉しく思います。
最高の人生を見つけていきましょう!
つづく【人生を変える旅路13】もうパパなんていらない!
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