グローバル・リーダー育成② 日本人はなぜ英語が苦手なのか?! | あなたの人生が一瞬で変わる田仲真治のブレイン・アップデート・キネシオロジー

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前の日記からの続きです。

  今月はじめ、ネパール、インドに旅行した時にも感じたのですが、 海外に旅行すると、よく日本語で話しかけてくる外国人が多くいます。

  その多くは、日本語以外にも英語と母国語を合わせると、3ヵ国語以上話せる人が多いのに驚きます。
  しかも、その多くは、語学の専門家というよりは、ごく普通の人がほとんどなのです。

日本人は義務教育で6年間も英語を学習したり、 英会話スクールや英語の教材に大金を投資している人が多いのにも関わらず、なぜこれほど、英語が苦手な人が多いのでしょう?
 「日本は島国だから、もともと語学が苦手な民族なんだ…?」 本当にそうでしょうか?


  そこで、JOE李さんに聞いてみました。
JOE李さんは、実は日本の歴史にも詳しく、 「日本人は、歴史的にみても、漢文から始まり、遣唐使、遣隋使を大陸に送り、その文化を取り入れてきました。

  江戸時代には蘭学を盛んに取り入れたり、漂流した漁師のジョン万次郎が英語をマスターして、立派な通訳を務めたりしています。
現代でも様々な外来語を柔軟に受け入れる能力などから考えても、決して語学が苦手な民族だとは言えません。 また、日本人は、日本語を外国人に教える能力も上手でした。
台湾で、ある程度の年齢の人は、みんな日本語が今でもペラペラですし、日本のことが大好きです。
そして、かつて台湾を日本が統治し、日本人として教育を受けてきたことに誇りを持っています。」


それを裏付ける動画をYOU TUBEで見つけたので紹介します。



  このように、戦後65年経った今でも流暢な日本語を話せる年配の人が沢山存在する台湾の実例や、 英語圏ではない、アジア諸国の若者が、母国語+英語の2ヶ国語以上を話せる人が多い実例からしても、 日本人が、中学、高校、大学で10年間、英語を学習しているにも関わらず、まともに話せない現状は、明らかに何かが変だと思いませんか?

  私は、この裏には「GHQの洗脳」があると思っています。
GHQの洗脳」は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(“War Guilt Information Program”、略称“WGIP”」とも呼ばれ、 戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画のことです。

  これは、大東亜戦争(太平洋戦争)後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)による日本占領管理政策として行われた政治宣伝である。

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  ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムについて江藤淳は、その嚆矢である太平洋戰爭史という宣伝文書を「日本の「軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、 この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、 現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」と分析[3]。

  また、「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。 つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。
以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない」とも指摘している。
また、「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。 大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである」としている               (ウィキペディアから引用)
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私たちは、自分に自信や誇りを持っていたならば、人と比較して優越感を感じたり、劣等感や罪悪感を感じることなく、どんな人とでも対等に、堂々と話しができるものです。
 ところが、自分に自信や誇りを持っていないと、すぐに周りと比較し、どちらが上で、どちらが下かを意識します。
 そして、相手の方が下だと思ったら、優越感を感じ、威圧的・一方的に自分の正しさを主張し、相手の話を聞こうとしません。
逆に、自分の方が下だと思ったら、劣等感や罪悪感を感じ、「どうせ自分の意見なんか興味を持って聴いてもらえることはないだろう」と予期して引きこもっていきます。 これは、日本、英語に関わらず、どんな言語であれ、共通するものだと思います。


 つまり、日本人の英語に対する苦手意識は、英語そのものというよりも、それ以前に、 「外国人に対して、日本人としてのアイデンティティを持って、堂々と自分の意見を主張するだけの誇り」を失ったところから来ていることにあるのではないでしょうか?                           ≪つづく≫