出来ないくせに完璧を求める、のではない。 | 自分のためのココロの処方箋~ちょっといい毎日を積み重ねる~

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「自分を知ること」はあなたの未来をより良いものにする必要なこと。
周りがどう思っているかより自分がどう思っているのかに気づくコツをお届けします。

MindKitchenみかももです。


ある人が、日記を書こうと思い立って

とある手帳を購入しました。


その手帳は日記を書きながらも

自分を知るための質問が

載っています。


その人は、自分を知るための

質問が全部埋められず、日記を

書くことに挫折した様子でした。


「できないくせに完璧を求めてしまう」


そう、話していました。


うんうん、そういうことあるよね。

でもね。


ここにはその人の

「思い込み」と「捉え方のクセ」

が潜んでいるんですよ。


何かわかりますか?


……

………


まずは「思い込み」について


その人は

「日記を書くために手帳を購入した」

はずなんですよ。

でも、自分を知るための質問が

埋められなくて挫折してるんですよ。


自分を知るための質問を埋めないと

日記が書けない


という思い込み。


たぶん、その手帳には書けないところは

飛ばしてかまわない、と書かれていたと

思うんですよね。


「今」書けるところは書く。

「今」書けないところは書かずにあとで書く。


もっと言っちゃえば、

「日記」を書くために購入したのなら

その質問に取り掛からなくてもいいわけですよ。


思い込みによって、

「日記を書く」から「質問を埋める」

に目的もすり替わっちゃったんですよ。


こういう状態になる人、かなりの確率でいると思います。


次に「捉え方のくせ」について


「出来ないくせに完璧を求める」


思考が「ない」からはじまってるんですよね。

ないものばっかりフォーカスしてる。


これ、こんな風に言い換えたほうが

腑に落ち度は高いんじゃないかな。


「完璧を求めるからできない」


理想通りに、予定通りにいかないものは

全部「ない」もの


本当にそうでしょうか?


そもそも「完璧」とはなんでしょうか?

そして「完璧」にできたら何なんでしょうか?

だいたいこういう時の「完璧」っていうのは

抽象的で不透明。


なんのための「完璧」なんですかね?


行動が伴わないときは、だいたい使っている言葉か

思考が一致していないことが多いです。


さて、その人はその後

日記を書いているのでしょうか?


書いているといいのですが。


プラスに働く「思い込み」はもちろん素晴らしいものですが

逆にマイナスに働く「思い込み」もあります。


むしろ、マイナスに働く「思い込み」をしているほうが

多いんじゃないかな?


そしてこういう「思い込み」は

自分じゃ見つけられないものなんですね。

自分にはどんな「思い込み」があるんだろう?

と気になったら、ご相談ください。